RCLIPに所属され、研究会での発表もされていた渋谷達紀先生が、8月29日にお亡くなりになりました(享年74歳)。RCLIPには高林先生と並んで渋谷先生のご指導をいただいた者も多く、ここに渋谷研究室出身者の回想を掲載し(五十音順)、先生への哀悼の意を表明したいと思います。
 なお、先生の御通夜は9月4日に、告別式は5日に執り行われ、多くの知財関係者が参列されました。祭壇の側には先生の著書が並べられ、在りし日の業績が改めて感じられました。

渋谷達紀先生の思い出
 社会人になってから既に相当な年月が経った2010年4月に早稲田大学大学院法学研究科に入学し、渋谷研究室にお世話になることになりました。2010年度は、渋谷先生が早稲田大学で教鞭を取られた最後の年であり、私は「最後の弟子」ということになります。学期開始前の履修指導の際に、履修予定科目についての話はほとんどなく、私の所属企業が関与した商標関係の事件や学位取得後のことなどについて率直なご意見を聞かせて頂いきました。これが、渋谷先生との直接の邂逅でした。
 渋谷先生は、退官された後も、知財関係の雑誌にかなり高い頻度で論文を出稿されておられ、本年6月及び8月には『不正競争防止法』(発明推進協会 2014年6月)、『種苗法の概要』(経済産業調査 会 2014年8月)をそれぞれ発行されていました 。毎年の工業所有権法学会でもお会いしており、渋谷先生にお会いするたびに、商標法の教科書の執筆・発行をお願いしていました。作家のような生活をしているとおっしゃりながら精力的に活動されていただけに、急逝されたと連絡を頂いた際には声も出ませんでした。
 先生はあまりお酒が出る場がお得意ではなかったと伺っていますが、年1回程度開催された渋谷研究室の夕食会では、いつもにこやかな笑顔でお話されておられ、忙しく研究を継続されているなかで、こうした懇親の場が幾ばくかでも安らぎの場になっていたとしたらうれしく思います。また、判決について研究会をしようとのご提案を頂き、検討対象候補のリストまでお送り頂いたにもかかわらず、そのときは時間的な都合がつかず実現できずにいました。厳しくも豊かな指導をいつでも頂けると考えていたことが悔やまれます

(RC 足立 勝)

渋谷先生と知的探求心
 主に知的財産法を中心に研究することを思い立ち、社会人修士として2004年に母校の大学院法学研究科に入学した折は、まだ現職の裁判官であったこともあり、周囲からは「何で今更、この立場の人間が?」という奇異の念で見られている自覚が強くありました。そのような変わり種の研究生にも分け隔て無く、温かく接してくださった渋谷先生の態度は、修士課程の2年間を送る中で、大きな心の支えでした。当時、私が担当していた事件について渋谷先生から御質問があり、(もちろん守秘義務に反しない範囲で)お話しさせていただいたとき、「証拠が足りなくて事実認定できないという裁判は、やはりあるんですねえ」と目を輝かせておっしゃっていたのが強く印象に残っています。
 弁護士となってからは、知財事件や実務法曹とはだいぶかけ離れた分野にも色々手を出してしまっていますが、「自らの知的探求心の赴くままに行動せよ。」という今の自分を支えてくれる原理原則は、渋谷研究室で過ごした2年間で培われたものであり、渋谷先生御自身の研究者としての生き様から学んだものだと思っています。渋谷先生に「またこういう新しいことを始めました。」ともはや報告できなくなってしまったことが、本当に残念でなりません。

(RC 大西 達夫)

渋谷先生の思い出
 社会人になってから勉強の楽しさ、大切さを知り、2004年に早稲田大学の門を叩きました。入試の面接では私からみて右側に木棚先生、左側に高林先生、真ん中に渋谷先生が座られ、それぞれたくさん質問をされ内心冷や汗をかきっぱなしでした。しかし、面接終了後に「この学校入学できたら絶対面白いぞ」とわくわくしたことはよく覚えています。
 初めての渋谷先生の授業ではリパーゼ事件最高裁判決についての報告を割り当てられました。自分なりに一所懸命調べ、考えて、「審査段階のクレームの役割は、出願人と審査官とがする議論の対象を特定することである。ゆえに両者の認識に齟齬が生じないようクレームの用語はできるだけそのまま解釈する必要がある。」ということを訥々と述べたところ、渋谷先生は「もやもやしていたものがすっと晴れた気分でしょう。」と、にこやかに話しかけてくださいました。
 修士課程を修了し博士課程に進学してからは、仕事で忙しい部署に配属されがちになったため休学を繰り返してしまいまいたが、余裕ができたときには復学して必ず渋谷先生の授業に出席するようにしました。渋谷先生はいつも、ご自分が知らなかった事柄に接したときには本当に楽しそうな表情をしていらっしゃいました。
 思い返せば、知的で個性的な同級生、先輩、後輩とともに週2回も渋谷先生の授業を受けることができた修士課程の2年間は何と貴重な日々であったろうと思います。生涯探求心を失うことのなかった渋谷先生の姿勢を間近でみられたことは何物にも代えがたいものでした。

(RC 加藤 幹)

渋谷先生と渋谷研究室
 私が早稲田大学の大学院法学研究科に入った2004年は、法務研究科(ロースクール)の元年であり、高林先生はそちらに専任ということで、知財を選択した院生は全員渋谷先生の研究室に所属することとなりました。そのため、全部で8名という大所帯となり、うち5名は自分や大西さん、加藤さんを含め社会人で、先生はかなり大変だったのではないかと思われます。ただ、学生の立場である私としては、在学中ワイワイと楽しい雰囲気で過ごすことができ、修了後も色々と集まり易くなり、結果として良かったと感じているところです。
 当時は、まだ先生は教科書を出しておられず、草稿を配布資料として授業をされていました。それまでに色々と自分の中で溜めていた疑問点や草稿を読んでさらに浮かんできた質問を毎週の授業後にペーパーにして提出していたところ、いたく喜ばれて新しく発刊された本の前書きに謝辞をいただいたことは大変光栄な思い出です。すでに数多の論文を出されていたのに対して、なぜかハードカバーの本は単著としては昭和54年に遡るまでなかったため、不躾にも、直接「単行本は出されない主義なのですか?」とお尋ねしたことがあります。お答えは「いや、そういう心算ではないですよ」ということで、実際、その年出された有斐閣の「知的財産法講義」シリーズを皮切りに多くの書籍を上梓されたことはすでに多くの方がご存知のことと思います。
 実は、その後も色々と質問を書き溜めていたのですが、先生はメールをされないという方でしたので、修了後は中々お渡しする機会もなく、年に1回ペースで行われていた先生を囲む親睦会で2、3度お渡しできただけになってしまっていました。今こうして回想を書くにあたり考えてみれば、通常の郵送をすればよかっただけで、色々と理由をつけてサボっていただけであったと悔やまれます。
 この親睦会ですが、入学したての頃は、先生のお人柄を余り存じ上げなかったこともあり、飲み会にお誘いすると研究のお邪魔になるかと遠慮していたところもありましたが、学生と様々な会話をされることは非常に楽しそうで、毎回の親睦会を楽しみにされていたようでした(漫画「MASTERキートン」に登場する、パブでユーリ先生の元に集まる社会人大学生のような雰囲気だと例えたら、漫画好きの人には分かってもらえるかもしれません)。
 先生が早稲田を退職された年には謝恩会の企画もあったのですが、ちょうどその年に震災があり中止となってしまったことは残念でした。翌年からまた復活したのですが、昨年の6月に再開2度目の親睦会を行ったのが、先生とお会いした最後となってしまいました。
 このときに撮影した写真は、優しい笑顔が印象的な往時の先生のお人柄を偲ばせる格好のポートレートとなっていると思いますので、撮影者である大野伸子さん(渋谷研究室2期生)の許諾を得て掲載しアップロードしたいと思います。先生は、著書にサインをされない方でしたので、せめてお写真をということで撮影したものだったと記憶しています。

(RC 平山 太郎)

渋谷達紀先生を偲んで
 去る9月1日、恩師・渋谷先生が逝去されたとのメールをいただきました。3月の下旬、早稲田大学の法律文献情報センターで資料を調べておられた先生に偶然お目にかかる機会がありましたが、その際はとてもお元気なご様子でしたので、まさかそれが先生のお声を聞く最後になるとは思っていませんでした。それだけに驚き、また深い悲しみに襲われました。
 顧みると、2009年4月、私が、大学(法学部)を卒業して以来51年ぶり(満74歳)でアカデミックな世界に再度足を踏み入れ、早稲田大学大学院法学研究科で科目等履修生として先生の「著作権法」の講座を受講したときが、渋谷先生との出会いでした。その後、2010年4月~2011年2月の間には、不正競争防止法(私の研究分野)についてのご指導をいただきました。渋谷先生は、2011年3月末をもって、70歳の定年で早稲田大学を退職されましたが、退職後にもかかわらず、翌2012年1月には、私の修士論文審査の「副査」を務めていただき、また、私がドクターコースの試験に合格した2012年2月、次のようなお祝いと励ましのお言葉をいただきました。このお手紙は今も大事にしており、これまでも、研究に行き詰まり、迷ったり、悩んだときには、これを読み返し、心の支えにしてきました。
 「ドクターコースでの研究は、道程標のない一人旅のようなところがあります。そこが楽しいところでもあるのですが、心もとない思いをされるかもしれません。傍目八目いうこともありますので、必要なときはどうかご遠慮なくご連絡下さい。足立さんとご一緒に、初志貫徹されることをお祈りしています。」
 こんな暖かいお声を聞くことが叶わなくなったことは、本当に残念でなりません。でもいつまでも悲しんでばかりいる訳には参りません。先生の著作を紐解けば、先生の心の声を聞くことが出来るからです。これからは、星空からのお声を心の糧にして、所期の目的の達成に向けて努力する心算です。
 先生は、私の第二の故郷である京都が大変お好きで、毎年、烏丸御池にあるホテルを定宿にして、徒歩で行ける祇園界隈のおいしい小料理屋を訪ねるのを楽しみしておられました。先生からお気に入りのお店を何軒かご紹介いただいとことが、昨日のことのように脳裏によみがえってきます。
 渋谷先生、どうか見守っていてくださるとともに、安らかにお休みください。
 合掌

(RC 結城 哲彦)

shibuyaken2013.jpg
2013.6.15 高田馬場FLATTORIAにて