吹きガラス作家の舩木倭帆先生は、昨秋11月10日にお亡くなりになられました。船木先生は、あまりご自身についてご自分からお話しになられない方でしたので、私が先生から伺ったことを含め先生とその作品について少しご紹介させて戴きます。併せて、舩木先生の作品をきっかけとして応用美術について感想を述べてみたいと思います。
 舩木先生及び作品の詳細は、許可を戴いておりますので、以下の(株)WILLのホームページをご覧ください。

LinkIconhttp://www.will-cefi.com/2012/funaki/index.html

1.舩木先生の作品
 舩木倭帆先生の作品は、(株)WILLのホームページをご覧になって戴ければお判りのように、舩木先生から伺った倉敷の大原美術館の関係者の方あるいはある女優さんから「使いやすい厚さ」、「厚いけど繊細」といわれています。先生もその評価を喜んでおられました。
 涙壺と称される小さな球形の壺について作品をお持ちの方は、「優しい形」、「涙壺には既に想いが込められている」、「何を入れるものかと考えてみたけれど、沢山の想いが既につまっていて、涙壷という題が、なんだかひどくしっくりして、余計に悲しい。あの曲線は、涙なのだろう。とても暖かく、優しい。」といわれておられます。

2.舩木先生のご実家
 舩木先生の実家は民藝運動に関わられた島根県宍道湖のほとりにある布志名焼窯元で、柳宗悦、浜田庄司、河井寛次郎、芹沢銈介、版画家の棟方志功などが訪れ、またイギリス人陶芸家バーナード・リーチも滞在して陶芸制作をしました。
 バーナード・リーチを特集した日曜美術館(Eテレ)でも、布志名焼窯元が紹介されていました。出演されておられたのは多分先生の甥御さんだと思います。

3.舩木先生のキャリア
 舩木先生のキャリアについては、(株)WILLのホームページを引用させて戴きます。
 「手作業から機械製造へ
 歴史の浅い日本には民芸の規範となるようなガラス器が乏しく、それなら自分が作ってみたいと吹きガラスの世界へ進みます。それも自分でデザインを考え、自身でガラスを吹き、作品を創るという、これまで誰一人歩いてこなかった、先達のいない道を選んだのです。
 この道に一歩を踏み出したころの日本は、ガラスは町工場で作られる安物の冷たい感触の物や機械の量産による無機的な感覚のものであふれていました。しかし、私の目指すガラスは、不純物を極力取り除いた、手の切れるような鋭いガラス器ではなく、正倉院御物にあるような温かい感覚を持ったガラスでした。
 大学を出るとすぐに、大阪の町の「清水硝子製造所」というガラス工場に就職。当時はすでに人の手から機械による量産へ移行する過渡期でしたが、この工場では吹きガラスによるメスシリンダーなどの計測器や、コップ、花瓶、フラスコやビーカーなど、様々なガラス製品を作っていました。正確に早く吹くことが要求される仕事で、熟練した技を持つ職人も多くいました。」
 「10年間この工場で働きましたが、それは決してつらい思い出ではありません。職人さんたちの豊富な知識、経験、技術。若い私には彼らが語る話のひとつひとつが興味深く、勉強になる事柄だったのです。」
 「若かったころは技術面では、工夫を重ね試行錯誤をくりかえしながらの毎日でしたが、『手仕事の吹きガラス』を一生の仕事とし、用の美を追究していく物づくりのおもしろさと厳しさ、進むべき道の方向性を照らし示してくれた多くの人に恵まれた良き時代であったと思います。」
(文・片岡)(舩木先生談 前出(株)WILLのホームページ参照)

 民藝運動に関係された方のお話しも舩木先生から伺いました。
棟方志功
 棟方志功氏は、お目が悪いので舩木先生に会われると、「倭帆(しずほ)君」と言われて、抱きついて確認されたのだそうですが、子供だったので、それが嫌であったと話されていました。

河井寛次郎
 昨年京都であった日本工業所有権法学会の翌日、河井寛次郎記念館に伺いました。開館時間前に到達しましたので、暫く塀の外で待ちました。外観は、一見京都の町屋のようです。しかし、建物の佇まいからして強烈な美意識を感じ入館前から緊張を強いられました。記念館の内部及び展示品の持つ美意識、緊張感はいうまでもありません。建物の外観に既に表れた緊張感を、舩木先生にお話したところ、「記念館の元河井寬次郎の住まい兼仕事場は、河井寬次郎が自ら設計したものなので、外観からして美意識を感じて当然。」とのことでした。

白洲正子
 白洲正子氏は、若い時代から舩木先生に期待されていたようです。白洲正子氏の京都の定宿に呼ばれては、「深い井戸を掘りなさい。」「早く独立しなさい。」と言われたそうです。舩木先生は、白洲正子氏は、ご自分の武相荘の庭に窯をつくらせるおつもりだったのではないかと話されました。

4.私と舩木先生の作品との出会い
 絵画などの美術品、工芸品を展示する高原アートギャラリーが、山梨県北杜市にあります((株)WILLのホームページ参照)。私は、近くに時々参りますので、当時は高原イラスト館と言っていたそこに偶然伺ったのが舩木先生の作品との出会いです。展示されていたグリーンの棗型の花瓶のフォルムに惹かれました。非常にシンプルでありながら、モダンな形状です。グリーンあるいはブルーの小さな円形が表面に表されたグラスも気になりました。
 その後、私の事務所の近くにある神楽坂の懐石料理店に偶然入ることがありました。カウンターから食器棚をみると、舩木先生のグラスが飾ってあります。思わず確認すると、そのグラスに冷酒をそそぎ、次々、舩木先生の作品にお料理を盛って戴けました。これが、神楽坂の懐石料理店弥生さんとの出会いです。
 弥生さんは、通っているうちに判りましたが、中村勘三郎さんとご昵懇のお店でした。中村勘三郎さんを偲ぶ会に使われた「ありがとう」の文字が入った白ワインのエチケットは、女将さんが一枚一枚千本に張られたそうです。お店に飾られている、中村勘三郎さん勘九郎さん七之助さんお三方の隈取は是非ご覧になって戴きたいと思います。弥生さんの近くにある「勘三郎せんべい」を販売される神楽坂通りに面したおせんべい屋さん、福屋さんではまだ、ボトルが展示されています。
弥生さんでは、中村勘三郎さんご夫婦を含め、私でも存じ上げている劇作家、写真家をカウンターで拝見したことがあります。舩木先生とは、何回か弥生さんで偶然お会いし、お話を伺うことができました。
 舩木先生の作品集では、お料理を盛り付けた写真が何点もありますが、そのお料理は弥生さんが調理されたものでした。
 その後、高原アートギャラリーの関係者の方々と、弥生さんで、舩木先生の作品にお料理を盛っていただく機会を持てました。カウンターのライティングは、弥生さんの女将さんの自慢ですが、ライティングによって器の模様がカウンターに映りお料理を引き立てます。蜘蛛の巣状のガラス模様の投影は美しいものです。弥生さんのカウンターの奥には、今は、舩木先生から戴いた緑色の花入れが吊るされています。

 高原アートギャラリーでは、舩木先生をお招きした内輪のパーティーが何夏かおこなわれました。舩木先生はがぶ飲みできるワインが合うとおっしゃっていましたが、そのとき、手元にあったオーブリオンとマルゴーブランをお持ちし、舩木先生のグラスで楽しんでいただけました。
 舩木先生の作品が、私に、高原アートギャラリーと弥生さん、そして舩木先生にまで繋げた力に驚くばかりです。この原稿も、先生の作品を傍らにして書いているのですが、作品の放つ美意識に居住まいを正される思いです。

5.応用美術と著作物
 応用美術については、分野により著作物に該当するか否かを判断する考えがあります。
舩木先生の作品は美術工芸品と思いますが、舩木先生の作品との関連で考えても、どのように切り分けるのかは簡単ではないように思います。

1.舩木先生の大きな作品
 大きな花瓶、大皿は少数作られたと思います。「手仕事の吹きガラス」として作られています。これらは美術工芸品にあたるでしょう。ガラス工場の吹きガラスで習得された技術を基にされた、「手仕事の吹きガラス」です。

2.舩木先生のコップ、小さな皿の作品
 舩木先生は、コップや皿は大量に制作されたとおっしゃっておりました。作り方としては、大きな作品と同じ「手仕事の吹きガラス」です。それぞれのコップや皿はよく見るとそれぞれ細かい点で異なっています。これら作品も、ガラス工場の吹きガラスで習得された技術を基にされておられると思います。
 こちらは、量が多いので、同じ舩木先生の作であっても美術工芸品ではないと考えるのでしょうか?

3.ガラス工場のガラス製品
 吹きガラス工場のガラス製品は、「手仕事の吹きガラス」ですが、大量に作られています。作り方としては、量産品のグラスも舩木先生の作品も「手仕事の吹きガラス」です。
 量産品は、「安物の冷たい感触の物」と舩木先生はおっしゃっておられます。逆にいうと、「冷たい感触」を与えるものではあります。
 弥生さんでは、量産品のグラスでビールを飲み、その後舩木先生のグラスで冷酒を飲み、舩木先生のお皿に卵豆腐、あるいはデザートとして洋梨の赤ワイン煮を載せて戴き、「量産」の陶器のお皿には、お造りを載せて戴く。それぞれのグラス、お皿に良さがあります。
 こちらは、意匠権の対象とはなっても著作権の対象とはならないと考えるのでしょうか?

4.機械による量産品
 機械による量産品と美術の著作物との関係を考える上で、私の以下の体験は参考にできるのではないかと思います。
 私の自宅近くにある府中美術館で数年前、夏休みの子供教室がありました。その注意書には以下の記載がありました。
(1)静かにしなさい。
(2)絵をじっくり見なさい。
(3)絵を見ることで、心に起きた変化を楽しみなさい。
 (1)、(2)は子供相手ですので当然です。問題は、(3)です。
 この注意書きについて、横綱白鵬の化粧まわしの原画を描かれた洋画家高波壮太郎先生に意見を求めたことがあります。先生は、(3)は、絵を鑑賞する上で、その通りであり、府中美術館の学芸員の指摘は的確であると述べられました。高波先生とは、「茶の本」で指摘されるように絵は耳でみるものではなく、心に「来るか来ないか」、心で感じるものであるとも話しております。逆に、音楽の問題ではありますが、最近のゴーストライターが問題となったクラシック音楽の騒動は、曲自体を心で感じず世間の評判で「聴いている」結果であって、誰が作曲しようが良い曲は良い曲で、駄目な曲は誰が作曲しようが駄目のはずです。作曲者の背景と関係なく曲が良いからフィギアスケートの曲に選んだという高橋大輔はさすがだと思います。

(高波先生の作品がよく展示されているgalleryR&T
 高波先生の作品展は、毎年高島屋で展示されます。今年は、大阪高島屋2月26日から3月4日の予定、新宿高島屋4月23日から29日の予定です。強烈な厚塗りをお楽しみください。

 ただ、心に起きる変化は人により異なります。手塚治虫の「火の鳥」には、ロボットに育てられた子供が、溶鉱炉の鉄の流れを春の小川と思って、和むシーンがありました。恐ろしい話ですが、さすが手塚治虫の指摘です。絵によって、人によって、心に「来るか来ないか」は異なると思います。だから、面白いのだと思います。

河井寛次郎
 河井寛次郎が十字土管に美を見出したのは有名な話です。河井寛次郎記念館にも十字土管に題材をとった作品があります。

横浜トリエンナーレ2011
 3年前、横浜美術館で、石田徹也も展示された横浜トリエンナーレ2011がおこなわれました。その中にお化けを特集したブースがありました。お化けの小さな液晶画面を持ったパチンコ台が、歌川国芳とならんで展示されていました。これが、すごく面白くてインパクトがあり、国芳や現代作家の作品に負けません。作者はかなりの力量の持ち主を思います。展示された横浜美術館の学芸員の力量に感心しました。この話も高波先生にお話しましたが、先生も私の感想に、ありうるとのご意見でした。

カップヌードルミュージアム
 横浜美術館の近くにカップヌードルミュージアムがあります。

 私は、その建物のコンセプトを理解するのに入館して15分ほどかかりました。その後、私の理解とプロデュースされた方のコンセプトが一致していることは、プロデュースされた佐藤可士和さんにオープニングパーティで直接確認させて戴きました。
 是非、カップヌードルミュージアムに行かれて、その印象をお聞かせください。但しコンセプトがお判りになっても、他の方がご自身でコンセプトが判る楽しみを奪わないためにお話にならないでください。
 コンセプトが判った時の喜びは、見ることで心に起きた変化を楽しむことでもありまます。昨年上野で見たミケランジェロのクレオパトラを前にしたときの心の変化と変わらないと思います。

東京国立近代美術館の展示
東京国立近代美術館では、「現代のプロダクトデザイン-Made in Japanを生むPRODUCT DESIGN TODAY: Creating “Made in Japan”」が、2013.11.1から2014.1.13まで開催されていました。

概要は、以下の通りです。そのままご紹介させて戴きます。
 「日本には、さまざまな伝統の工芸や地域に根づいた手工業が息づき発達してきました。ものづくり文化の基盤を支えるそれらの特有の技術に着目した現代のプロダクトデザイナーらは、生活を豊かにする提案を企画し、デザイン開発から生産、そして自ら製品発表や流通にも携わっています。そこでは、陶磁器や染織品、漆器、木竹工品、金工品など、デザイナーと地場の製造技術者らが親密に協同した新たな開発があり、さらに使い手との関係も深めつつ現代の生活を潤す道具が生み出されています。
 そうしたプロダクトデザインの現代を代表する小泉誠や城谷耕生、大治将典、またテキスタイルデザイナーの須藤玲子は、精力的に現代の生活感覚に見合う清新なデザインを発表し、活躍しています。彼らのデザインは、国内に留まらず国際的に発表や紹介がなされており、世界が注目する日本の優れたデザインの一翼を担っているといえましょう。あわせて新進の若手デザイナーらを取り上げ、身近な製品デザインをテーマとして集ったセンヌキやテーブルウェアなどを紹介し、これからのプロダクトデザインの将来とその可能性を検証します。
 本展覧会では、こうした日本のものづくりを担う気鋭のプロダクトデザイナーらに注目し、いわゆる今日のMade in Japanを生みだす優れたデザインと道具を紹介します。」
 この展覧会では、量産品が展示され、ショップでは展示されたものが販売されていました。日本の代表的な美術館で展示されるものが美術の著作物に該当しなくてよいのでしょうか?
 ショップで販売されていた量産品の、大陸の冬空を思わせる青磁色のエッジが鋭く切られた磁器製筆立てを、ある研究会で早稲田大学の上野達弘先生に差し上げましたが、研究会に出席されていた著作権法の他の研究者は如何お考えになられたのか、お聞きしたいと思います。

 自動車工場
 大量生産の代表と思われる自動車工場を、以前見学をしたことがあります。プレス加工した自動車ボデーの凹凸を白い布手袋をした作業員がボデー表面を触りながらチェックし、修正箇所はチョークで印をつけ、修正していました。
 単にプレスすれば終わりというわけではありませんでした。

5.まとめ
 私は、アートの知識は乏しく、高波先生から感性だけで絵を見ていると言われている者ですが、舩木先生の作品は、「手仕事の吹きガラス」だから感動するのではなく、舩木先生の作品を見ることで、あるいは触れることで、心に変化を起こすことができるから優れていると思います。見ることで、あるいは触れることで、心に変化を起こすことができるものは、「手仕事」であろうが、量産品であろうが、手作りであろうが、工業製品であろうが、変わりないはずです。
 結局、クリエーターのメッセージを受け手が受け止めて共感あるいは反発できるか否かだと思います。共感、反発は、美術の分野とは関係が無いと思います。

 上智大学の駒田泰土先生は、「美の一体性の理論」を唱えられています。美術を一体のもの(unity)として考えるお立場です(unity of art theory)。(『知財年報2009』(別冊NBL)219頁以下。およびLinkIcon『企業と法創造』通巻17号)。

 私には駒田先生がおっしゃることは、当たり前のことのように思われます。
 あまり、「量産」の如何等をもって、美術の領域を区別しようとすると、「キャンベルスープの罠」に嵌るように思います。
 意匠権と著作権の分野の問題は、成立と複製翻案の問題として処理されるのではないかと思います。

(RC 安原 正義)