フランス語では、C’est la vie などというが、直訳は、「それって人生だよ」ということになり、いいことの場合、あきらめを込めた場合、あるいは人を励ます場合にも使われる。英語では、Tomorrow is a new dayとか、Let the morn come and the meat with itとか言うらしい。Vivien Leigh演じるScarlett O’Haraは、映画「風と共に去りぬ」の名セリフ“Tara! Home. I’ll go home.”のあとで、”After all, tomorrow is another day!”と言った。

そうは言っても、普通の生活の中では、風向きも強さも予測可能、想定の範囲内であり、思いがけない時に吹いてくる風を突風などと称するということは、通常は大勢に影響のない風が多いことになる。しかし、筆者は最近風に吹かれ、傘を持ったトトロの如く(空路)あるいは野山を走る猫バスの如く(新幹線)、西の方にしばらく飛んでいくことになった。東上線という路線があるくらいだから、西下というのかと思いきや、東西を行き来することは「東奔西走」となるらしい。というわけで、8月1日より東奔西走することになった。実際は右往左往しており、Scarlett O’Haraの威厳はない。

思いがけないことは、誰にでもやってくる。芸術家のArturo Di Modicaの代表作品である、「Charging Bull(突進する雄牛)」は、ウォール街のシンボルともいえるブロンズ像である。現在この牛をめぐって思いがけない風が吹いている。この牛に立ち向かう勇敢な女の子が表れたのである。Kristen Visbalによって製作された、ブロンズ像の「Fearless Girl(恐れを知らない少女)」は、この牛に対峙するような場所に両手を腰に当てて毅然と立っている。少女の像は、国際女性デーの前日2017年3月7日に建立された。観光客にとっては、ウォール街のフォトジェニックな場所が増えるという喜ばしいことであり、そうなるとニューヨーク市にとっても悪い話ではない。

しかし、Di Modicaはこの少女の像は、彼の雄牛の行く手を塞ぐことでアート作品の改変行為を行い、著作者人格権侵害に当たるとして、市当局にクレームの書簡を送ったとされる。

Di Modicaは、この少女像は彼の作品-1980年代の後期の株式市場危機の後に作られた-に対する冒とくであり、「彼女は雄牛を攻撃するためにそこにいる」と述べている[1]

Di Modicaの主張は、アメリカでいうSite Specificな彫刻に対する同一性保持権侵害であるというものである。しかし、多くの弁護士やコメンテーターは、彼に与えられる保護は非常に薄いものであり、近所に牛を挑発するようなブロンズ像が立ったからと言って、それを「改変行為」ということはできないとするものが大勢である。Di Modicaは、裁判を起こす可能性は示唆しているものの、現時点ではまだ訴えが出されてはいない。

確かに、自身の彫刻と対峙する距離に置かれた彫刻であって、その少女像があることで、牛があたかも悪者であり、それに立ち向かう少女といった対立構造が構築されてしまうことは、牛の作者にとっては全くの驚きであり、ある種、望まない形での結合著作物が作られたことになる。一方で、著作者の意をくんで、少女像の位置を変更するとすれば、いったいどこまでが牛の領域となるかといったことも大きな問題であり、それを許容すれば、ある彫像を設置することで、その他の彫像を一定の距離内に設置することができなくなってしまうのである。Di Modicaの気持ちはわかるが、いたしかたない。

牛の著作者に勝ち目は全くないのだろうか。どちらかを立ち退かせてどちらかが生きるという形は、牛が去っても少女が去っても後味がいいとは言えない。それでは、増やしたらどうだろうか。もっと多くの芸術家が参加し、牛と少女とその他の動物や、それらを取り巻く環境を作っていったら、ニューヨークがさらに文化的な都市になるのではないのだろうか。今日も明日も、多かれ少なかれ風は吹くのである。

 

 

 

 

2017年8月1日より、山口大学大学研究推進機構准教授(特命)となります。RCLIPでお世話になった皆さま、ありがとうございました。宇部にお越しの際は、お声をおかけください。

Waseda! Home. I’ll sometimes go home.

(招聘研究員  小川明子)