🔭パロディ作品への著作権法65条2項・3項の類推適用について(結城哲彦)

はじめに

毎年、親しい人から、下記のような年賀状を頂戴している。差出人は、2019年の5月で満88歳になる男性である。本人の承諾を得て転載するので、まずは、じっくりとお読みいただきたい。これは、批判・風刺等を含むので、広義ではパロディ作品の一種であるが、他人の著作物の表現を完全に換骨奪胎しているので、著作権法上は、二次的著作物としてのパロディではなく、別個の新たな著作物である。

2018年 元旦

2019年 元旦

雨ニモマケズ

アベにも負けず

平家物語

睥睨(へいげい)物語

雨ニモマケズ

風ニモマケズ

雪ニモ夏の暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ

欲ハナク

決シテ瞋(イカ)ラズ

イツモシズカニワラッテイル

(中略)

ミンナニデクノボウトヨバレ

ホメラレモセズ クニモサレズ

サウイウモノニワタシハナリタイ

(宮沢賢治:新潮文庫)

アベニモ負けず

カケニモ負けず

モリトモにも排除の理論にも負けぬ不撓不屈の心をもち

三選を望むことなく

決して高飛車に出ず

いつもヒフミンの様に和んでいる

(中略)

インスタ映えしないといわれ

 

ヨイショもされず 忖度もされず 

そういうものに私はなりたい

祇園精舎の鐘の声

諸行無常の響きあり

沙羅双樹の花の色

盛者必衰のことわりを表す

おごれる人も久しからず

 

ただ春の夜の夢の如し

たけき者も遂には滅びぬ

ひとへに風の前の塵に同じ

‥‥(後略)

気象災害の爪の痕

諸所無残の悲劇あり

#Me Too運動の服の色

ジェンダー平等の理を表す

自国優先(ファースト)を叫ぶ人(ドン) 世に数多(あまた)

ああ国際協調や今いずこ

辣腕経営者も遂に「御用!」

正に風と共に去りぬ(Ghosn’s Gone with the Wind)

‥‥(後略)

上記の年賀状を受け取り、数年前にノートの余白に記しておいたパロディについてのメモを思い出し、それに加筆・修正を施して、ここに雑文をまとめた次第である。

なお、混乱を避けるため、このコラムにおける議論の対象を、以下のようにあらかじめ明確にしておきたい。
 パロディではないかと疑念を持たれた作品は、最初に、普通の著作物か二次的著作物かに仕分けられる。
 次に、冒頭で掲げたような作品は、他人の著作物に依拠しておらず、かつ、その本質的特徴を直接感得させないので、普通の著作物に該当すると判断される。また、このような著作物も、批判や風刺などを目的としている場合、パロディと呼ばれることがあるので、これもパロディ(広義のパロディである)にカウントすれば、現行著作権法下で許容されるパロディも、それなりに存在することになる。しかし、そのような著作物の本質は、著作権法上、最初から普通の著作物であり、著作権侵害の問題とは無関係である。したがって、このコラムにおいては、当初から、この領域を議論の対象外と位置づけているので留意されたい。

他方、他人の著作物に依拠し、かつ、その本質的特徴を直接感得させるものと仕分けられたパロディ作品は、先行する他人の著作物に依拠しているので、著作権法上、「二次的著作物としてのパロディ」に該当し(狭義または本来のパロディである)、あらかじめ原著作物の著作権者である他人から利用許諾を得ていない限り、著作権侵害として、当該他人による使用差止請求や損害賠償請求の対象となるものである。しかし、そのようなパロディの中にも、経験則上、「表現の自由」や「文化的所産である著作物の有効活用」などの視点から、著作権侵害の対象から除外して差し支えないもの(または除外すべきもの)が混在しているのも事実である。その点を考慮すると、二次的著作物としてのパロディ作品の中から、著作権侵害から除外するための客観的な方策(根拠や形式)が必要になる。しかし、現行著作権法には、そのような方策は設けられていない。そこで、このコラムにおける論述は、二次的著作物であるパロディ作品を前提にした上で、現行著作権法の枠内において、「引用」という形式以外に、そのようなパロディ作品を著作権侵害から除外し保護することを正当化できる実質的または合理的な方策が存在しないかを追求するものであり、同時に、何らかの方策を探り当てようと試みるものである。

1.盗作とパロディの違い

 最初に、とり・みき氏(本名:鳥越幹雄、ギャグ漫画家)は、「パロディ」と「盗作」の違いについて、「原典がバレナイと困るのがパロディで、原典がバレルと困るのが盗作だ」と、ズバリ指摘している(シンポジウムでの発言。米沢嘉博『マンガと著作権』青林工芸社2001年77頁参照)。まさに至言である。これを著作権法的に言えば、パロディは、原著作物を前提に、それに依拠した二次的著作物の一態様である。斉藤博氏は、パロディ作品のことを「特殊なジャンルの二次的著作物」と表現している(斉藤博『著作権法(第3版)』有斐閣2007年214頁)。

2.パロディは、なぜ特殊な著作物なのか

 しからば、二次的著作物の一態様に過ぎないパロディが、なぜ特殊であり、その保護が問題にされるのであろうか。その理由が今一つはっきりしていない。現行の著作権法には、パロディという二次的著作物に対して、特別な保護や配慮を認める特別な明文規定は設けられていない。

斉藤氏は、「わが国の場合、パロディのセンスはさほど期待できず、かえって他人の著作物へのただ乗りに口実を与えるようなことになるのであれば、パロディに関連して権利を制限する規定を設ける必要はあるまい」(同書、214頁)と、消極的な見解(特別規定不要説)を説いていている。

しかし、風刺やユーモアなどは、社会の潤滑油として必要である。正面切っての政治的又は経済的な批判ではなく、笑いや風刺に託して物事の本旨を突くのが「パロディ文化」であり、成熟した社会には必要な道具であると考える。これを少し堅苦しくいえば、パロディによる風刺などは、憲法21条1項の「表現の自由」でいう「表現」に該当すると考えられる。

3.外国における立法又は訴訟での扱い

 では、外国におけるパロディの扱いは、立法や訴訟の上どうなっているのだろうか。フランスやアメリカのことはよく話題になるが、主要国の制度を概観すると、その概況は下記のような状況である(平成23年度文化庁委託事業「海外における著作物のパロディの取扱いに関する調査研究・報告書」平成24年3月、三菱UFJリサーチ&コンサルティング93~94頁などによる)。

1)個別規定を有する国(順不同)
 フランス、スペイン、オーストラリア、ベルギー、オランダ、スイス、ブラジル、カナダ、英国

2)一般規定によって権利制限されている国(順不同)
 米国、韓国

3)個別規定・一般規定とも存在しないが、既存規定の準用・類推適用など認容されている国(順不同)
ドイツ、スウェーデン、イタリア、ハンガリー、ポーランド

上記から明らかなように、わが国の外堀は完全に埋められている。率直に言って、外国の状況がここまでに至っていることは、いささか驚きである。特に、同報告書(47頁)によれば、「フランスでは、一般にパロディ創作は憲法的価値を有する利益であり(表現の自由)、非常に強い正当化理由を有していると考えられている」とのことである。パロディの法的保護の根拠を憲法に求めることは、どうやら正鵠を射ているようである。

4.わが国における立法の動向

わが国の著作権法には、パロディというジャンルを認め、原著作者の翻案権(著作権法27条)と氏名表示権/同一性保持権(同法19条/20条)を制限する規定は存在しない。平成24年6月、文化庁は、文化審議会著作権法制問題小委員会のもとに「パロディワーキングチーム(6名の識者により構成)」を設置して検討を行い、平成25年3月、その結果をまとめた報告書を公表した。

しかし、パロディ表現に関する条文の新設は行わず、現状維持が結論である。もう少し詳しく述べると、「少なくとも現時点では、立法による課題の解決よりも、既存の権利制限規定の拡張解釈ないし類推適用や、著作権者による明示の許諾がなくても著作物の利用の実態からみて一定の合理的な範囲で黙示の許諾を広く認めるなど、現行著作権法による解釈ないし運用により、より弾力的で柔軟な対応を図る方策を促進することが求められている」というのが、ワーキングチームによる報告書の結論である。
これは、平たく言えば、「現在、うまくいっているのに、わざわざ法律を作って、寝ている子を起こすことはない」という、いわば「お目こぼし論」で、当分、様子を見るという対応である。

5.パロディ作品と著作権法65条2項・3項の接点…類推適用の可能性

ご高承のように、著作権法65条は、「共同著作物」に関する規定である。しかし、二次的著作物は、共同著作物と下記のような共通の要素を有している。

  1. 原著作者(物語作家)と二次的著作者(漫画作家)というように、ともに2人以上の著作者が存在する。
  2. 全員または双方の同意がなければ、当該著作物は利用できない。自己利用か他者への利用許諾かは区別せず、一律に扱っている。
  3. その利用について全員または双方の意見がまとまらない場合、何らかの法的解決を必要とする。解決できなければ利用できない。

この場合、最大の争点は、原著作者の預かり知らないところで原作品が利用され、二次的著作物であるパロディ作品が出来上がっているという事実である。原著作者からすれば、これは盗用=著作権侵害ということになるが、二次的著作者からすれば、これは独自の創作または引用を含む作品ということであり、両者の間に共通の基盤はなく、そのギャップは大きい。これをどう克服するかが大きな課題である。

しかし、パロディ作品が私的領域にとどまっている段階では、このギャップは、通常、表面化しない。原著作者が二次的著作物であるパロディ作品を実際に深刻に受け止めることになるのは、そのパロディ作品をアニメ映画化する、週刊誌や月刊誌に連載する、あるいは単行本にして出版するなど、利用企画が具体化した段階であり、紛争が顕在化するのもこの時点である。この点においても、両者の状況は大同小異である。また、訴訟になった際の局面を想定しても、原作品が事前の許諾なしにパロディに利用された場合、原著作者は、著作権侵害を理由に、著作権法112条を根拠に、二次的著作物の利用差止めを請求することになろう。逆に、二次的著作者は、著作権法65条3項(正当な理由)を根拠に、原著作者の「同意」または「差止請求権不存在の確認」を求めることになろう。この点においても、共同著作物と二次的著作物の間に大差はない。

二次的著作物、特にパロディ作品の場合、共同著作物のように、「共同して作成したという相互に緊密な関係・基盤が存在していないことは確かである。しかし、上記のように、共同著作物と二次的著作物であるパロディ作品には、この事実を量質ともに上回る共通の要素が多いことも事実である。したがって、この両方の事実を総合考量すれば、共同著作物に関する規定である著作権法65条2項・3項を二次的著作物であるパロディ作品に類推適用する根拠は十分に存在し、また、類推適用により、パロディに対する明文規定の欠如を補完できる可能性は十分に存在するように思われる。これが、このコラムにおける筆者の問題意識である。

なお、「先行する著作物の表現形式を真似て、その内容を風刺したり、面白おかしく批判することが、文学作品の形式の一つであるパロディとして確立している」と述べ、正面からパロディの存在に言及した事案(東京地決 平成13・12・19「チーズはどこに消えた?事件」LEX/DB28070019)が存在する。しかし、制定法たる著作権法に具体的な拠り所のないこのような抽象的な議論ではハードルが高すぎて、現実性に乏しい。これに比べれば、類推適用には遥かに現実性があると考える。

また、「本質的特徴の直接感得」の有無という二次的著作物への該当性要件を最初からゆるやかに解釈して、「他人の創作的表現の本質的特徴を直接感得できない」と認定する範囲を広げ、パロディ作品を普通の著作物として位置づける場合を増やすことにより、その保護を拡大するという考え方も存在する。しかし、これでは、普通の著作物か二次的著作物かの仕分けに際して、最初の段階から解釈に恣意性を持ち込むことになりかねず、賛成できない。憲法上の要請である「表現の自由の確保」がいかに重要であっても、それが解釈の客観性を歪めてよい理由になるとは思われない。

6.パロディに対する学説・判例の現状

我が国のこれまでの学説や裁判所の判断は、パロディ作品であることを理由に、他の二次的著作物とは異なる特段の保護や配慮をしていない。

著作権法における学説の多くは、もっぱらパロディ作品と原著作物との関係性について着目し、引用の範囲を超えたパロディ作品は原著作物の著作権者の翻案権侵害であるが、引用の規定(32条)を弾力的に解釈し、その範囲に収まるパロディ作品については、パロディという独立した領域(ジャンル)を認めてもよいのではないかいう議論に終始しているように思われる。また、後述のように、二次的著作物(パロディ作品を含む)の著作者と原著作物の著作者の関係については、著作権法65条3項(共同著作物に関する規定)の類推適用が可能ではないかという学説や判例がいったん登場したものの、否定論の勢いに押されて、現在、類推適用についてはほとんど議論されていない。 

7.現行著作権法65条2項・3項の類推適用を肯定する学説・判例

 肯定論の主なものを挙げれば、以下のとおりである。
1) 斎藤博(前掲書、187~188頁)
 「二次的著作物は両権利者の許諾がなければ利用できないというとき、原著作権者の許諾が得られないばかりに二次的著作物の利用を断念しなければならないのか。それも妥当ではあるまい。両権利の間に上下関係はないにしても、二次的著作物の著作者の方がそれの利用を許諾しているときに、原著作者は利用をどこまで拒むことができるのか。この辺は、共同著作権の行使に関する65条3項の規定を類推適用して、原著作者は、正当な理由のない限り、利用を拒むことができないといえよう。」と述べている。
   なお、斉藤氏は、すでに言及したように、パロディについては、「特別規定不要論」を主張している。
(コメント)
 特段の制限なしに、著作権法65条の類推適用を肯定している(無限定肯定説)。

2)東京高判平成12・3・30「キャンディ・キャンディ事件」(判例時報1726号162頁)(最高裁(第一小法廷)平成13・10・25の上告棄却により確定。判例時報1767号115頁)

この判決は、傍論ではあるが、「契約によって解決することができない場合であっても、著作権65条は、共有著作権の行使につき、共有者全員の合意によらなければ行使できないとしつつ(二項)、各共有者は、正当な理由がない限り、合意の成立を妨げるこことができない(三項)とも定めており、この法意は、漫画の物語作者と絵図作者との関係についても当てはまるものというべきであるから、その活用により妥当な解決を求めることも可能であろう。」と判示している。
(コメント)
二次的著作物から生じる問題について、著作権法65条(共有著作権)の類推適用の可能性について言及しているので、この点に注目する必要がある。(適用可能説)

3)三村量一氏「共同著作物の利用に関する諸問題」著作権法学会『著作権研究』(有斐閣32号、2007)46~47頁)
   上述の東京高判の「キャンディ・キャンディ」を踏まえて、三村量一氏は、二次的著作物の利用への類推適用について、次のように述べている。

「仮にこれをアニメ映画化しようというのであれば、原著作物の著作者であるストーリー作家と二次的著作物の著作者である漫画家の双方の許諾がない限り、アニメ映画というのはできないわけです。つまり、両者の同意がないと著作物の利用ができないという点では、共同著作物と共通する点があるわけです。そうすると、二次的著作物の利用について双方の意見がまとまらない場合に、共同著作物の利用の場合に準じて、二次的著作物の著作者が原著作物の著作者に対して、同意を求める訴訟を提起できるかどうかが、問題となります。すなわち、二次的著作物の利用の場面において、共同著作物の利用に関する著作権法65条2項、3項の規定が類推適用されるかどうかが問題となるわけです。

この点については、二次的著作物について、全面的に著作権法65条2項、3項の規定が類推適用されるとまでは言えないかもしれませんが、その利用方法があらかじめ想定されるような二次的著作物の利用について原著作物の著作者が許諾していた場合には、二次的著作物の著作者は原著作物の著作者に対して、同意を求めることができると解することができると思います。例えば、原作付きの漫画について、週刊誌で連載したものを単行本ないし文庫本として出版し、あるいはアニメ映画化するといった場合には、漫画の作者は、原作であるストーリーないし小説の著作者に対して、同意を求めることができるというべきでしょう。その場合には、なおさら、意思表示を命ずる判決ではなく、差止請求権不存在確認訴訟いう形がふさわしいと思います。いずれにしても、そのような形で、二次的著作物の利用について著作権法65条2項、3項の規定を類推適用することは可能であろうと考えます。」
(コメント)
原著作者があらかじめ想定していた範囲内であるなどの一定の状況のもとでは、二次的著作物の利用について、著作権法65条2項・3項の類推適用が認められてしかるべきだと、かなり具体的に述べられている。ただし、事前の許諾など、一定の要件を前提にしているので、その意味では、「限定的肯定説」である。

4)飯田圭氏「マンガと著作権に関するシンポジウム」(2000年(平成12年)11月18日渋谷フォーラム8で開催)での発言(米沢監修・前掲書187頁)

「サンプリングとか、コラージュとか、パロディとかの手当ては、ここら辺(著作権法の65条)に手掛かりがあるのかなとは思っています。」
(コメント)
 同氏は、上掲のキャンディ・キャンディ事件の判例に基づき、著作権法65条の但し書を読み替えると、「原作品の著作権者は、正当な理由がない限り、二次的著作物の利用を拒否してはならない」という趣旨になると述べている。つまり、この規定を類推適用すると、「全く恣意的に、原作品の著作者が(二次的利用の)許諾を拒むということは、この条文による限り出来ない」という理解を示している。「原著作者があらかじめ想定していた範囲」などという限定はしていないので、「無限定肯定説」ということになる。

5)松村皆希「二次的著作物についての考察」(立命館法政論集16号2018)215頁

「二次的著作物であることを理由に、他人の創作的表現に依拠しなかった独自創作の部分すらも自由に利用できないというのは、創作主義を蔑ろ(ないがしろ)のものとし、後続のインセンティブを大いに幻滅させる現状にあるといえるのではなか。今回は、「キャンディ・キャンディ事件」を中心に、法28条の解釈のみに検討を加えたが、今後の課題として、二次的著作物と法65条の類推解釈との関係についても検討を加え、その創作に見合った保護を模索して行きたい。」
(コメント)
 二次的著作物に関する今後の検討の在り方について、重要な指摘・方向付けがなされている。

8.現行著作権法65条2項・3項の類推適用を否定する学説・判例

  他方、否定論の主なものを挙げれば、以下のとおりである。

1)駒田泰土「共同著作、二次的著作」高林龍ほか編『現代知的財産法講座I知的財産法の理論的探究』(日本評論社2012年)218頁)

「二次的著作物は原著作者の与り知らぬとこれでも成立するものであるから、このような場合に共有関係の類推認めるべきではないとする見解も主張されている。私見も、二次的著作物でしかないものについて、あえて65条3項等の類推を認める必要はないと解する」
(コメント)
  特別な関係がない者に対して、原著作者が許諾を義務付けられる理由がない、という見解である。この学説は、二次的著作物への65条3項の推適用そのものを一切認めない見解、すなわち「全面的否定説」に属する。

2)中山信弘『著作権法(第2版)』(有斐閣2014年)154∼155頁

 「原著作者と二次的著作物の権利者の関係につき、65条3項の共有の規定を類推すべきだという説もあるが、両者は共有とは異なった利害関係にあり、妥当とは思えない。現行法においては、二次的著作物の成立には適法要件が必要とされておらず、原著作物の権利者の与り知らぬところで二次的著作物が成立する場合がある。このような場合に共有関係の類推を認めると、原著作者は、正当な理由がない限り、二次的著作物の著作権者の利用を拒否できなくなるが、それでは原著作物の著作権者にとって余りにも不利益が大きい。」
(コメント)
 この学説も、同様に、全面否定説である。

3)東京地判平成22・9・10「小説『イッツ・オンリー・トーク』脚本出版妨害禁止請求事件」(判例時報2108号135頁)

「なお、原告らは、本件脚本(二次的著作物)の利用については、共同著作物に関する著作権法65条3項の規定と同様の規律がなされるべきであり、原作者が二次的著作物の利用を拒絶するには「正当な理由」がなければならないなどとも主張する。同主張は、本件ただし書規定の解釈に関してなされたものであるが、二次的著作物の利用の場合に上記条項が類推適用されるとすれば、二次的著作物である本件脚本の著作者である原告Xは被告に対し同条項に基づき本件脚本を「年鑑代表的シナリオ集」に収録、出版することについて同意を求めることができると解する余地があるので、念のため付言する。
  著作権法は、共同著作物(同法2条1項12号)と二次的著作物(同項11号)を明確に区別した上、共同著作物については、著作者間に「共同して創作した」という相互に緊密な関係があることに着目し、各共有著作権者の権利行使がいたずらに妨げられることがないようにするという配慮から、同法65条3項のような制約を課したものと解される。これに対し、二次的著作物については、その著作者と原作者の間に上記のような緊密な関係(互いに相補って創作をしたという関係)はなく、原作者に対して同法65条3項のような制約を課すことを正当化する根拠を見出すことができないから、同項の規定を二次的著作物の原作者に安易に類推適用することは許されないというべきである。したがって、原告らの上記主張は採用することができない。」
(コメント)
この判決は、「安易に」すなわち、「一律に」、著作権法65条3項を類推適用すべきでない、と判示しているので、類推適用そのものを一切否定するものではないと思われる(条件的否定説)。なお、作花文雄『詳解著作権法(5版)』(ぎょうせい2018年105頁)は、この判決を支持し、安易な類推適用は避けるべきだと述べている。また、高林龍『標準著作権法(第3版)』(有斐閣112頁)も、「原著作権者の了解なくしても成立する二次的著作権者と原著作権者間には、このようにお互いの立場を尊重すべきとする規定はない」と述べ、「安易に類推適用することは許されない」とするこの判決を支持している。

 おわりに

二次的著作物であるパロディ作品は、自由な表現による風刺・批評というパロディ作品の性格上、その99パーセントが原著作物の著作権者の許諾を得ていないと考えられる。したがって、パロディ作品の著作者が自らその利用を企図した場合または他者に利用許諾させる場合、原著作物の著作者と二次的著作物の著作者の意見が内部的に対立し、合意に達しない確率は極めて高く、その結果、そのパロディ作品を利用できない事態に至ることは、せっかく生み出された知的労働の成果を無駄にすることであり、「文化の発展」という著作権法の目的に照らして残念だと言わざるを得ない。知恵を絞り、可能な限りこれを避ける手立てを考え出さなければならない。さらに、法制度的または法解釈論的に言えば、これは、事前許諾なしに作成された二次的著作物の利用について、原著作物の著作権者と二次的著作物の著作権者の間の利害調整の法的メカニズムをいかに構築するかの問題である。

従来の伝統的または通説的な見解は、パロディ作品の成立に原著作権者の許諾が必要だとは論じていないものの、総じて

  1. 無許諾で創作された二次的著作物に係る権利の行使については、原著作権者の許諾が必要である、
  2. 原作品の著作者の権利は、先に存在しているのだから、それに依拠する二次的著作物の著作者の権利に優先して保護されるのは当然である。著作権法28条が「同一の種類の権利」を「専有する」と謳っているのは、このことを意味している、
  3. 明文の規定なしに著作権は制限できないという解釈の原点を忘れてはならない、
  4. 事前の許諾などがない場合、原著作物の著作者と二次的著作物の著作者の間には共通の基盤がないので、共同著作物の場合と異なり、原著作物の著作者が、その意に反して、原著作物の利用に対する利用許諾を義務付けられ、それを受忍しなければならない必然性がない、
  5. そもそも、二次的著作物に対して有する原著作権者の同一種類の権利(著作権法28条)は、二次的著作物に係る二次的著作権とは次元の異なる特別な権利であって、共有に係る著作権(共有著作権)になり得ないものであり、著作権法65条の適用はありえない、
  6. 原著作権者が二次的著作物に対して有する同一種類の権利と二次的著作物に対する二次的著作権は、互いに独立した別個の存在である。
  7. 原著作物の著作権者と二次的著作物の著作権者の関係について著作権法65条1項・2項で規定している共有関係の類推を認めると、原著作物の著作権者は、事実上、二次的著作物の著作権者による原著作物の利用を拒否できなくなる、

などの諸点を論拠にし、著作権法65条の類推適用を排除し、結果として二次的著作物の著作権者であるパロディ作家の立場を擁護していない。
    しかし、「共同著作物」と「二次的著作物」を常に厳密に区別して解釈することは、果たして妥当であろうか。現行著作権法の枠組みの中に、パロディに係る紛争の解決に利用(類推)できる可能性のある規定が存在するにもかかわらず、それを活用しようと努めない姿勢には大いに疑問を覚える。また、

  1. そもそも、著作権法に二次的著作物の適法要件は規定されておらず、原著作権者の事前の許諾がなくても、二次的著作物は成立する。したがって、原著作権者の預かり知らぬところで二次的著作物が成立することを、いたずらに異端視することは妥当ではない、
  2. 著作権法28条は、原著作物の著作権者が、二次的著作物の利用に関して、二次的著作物の著作権者が有すると「同一の権利」を専有すると規定しているが、ここで「同一の種類の権利」とは、権利内容は同じであるが、保護期間が異なるということを意味するものに過ぎない(加戸守行「著作権法逐条講義(6訂新版)」2013年著作権情報センター、217頁)。したがって、この「同一の種類の権利」という規定は、原著作権が著作権法64条や65条によって二次的著作権と共有関係になりうると解釈することの障害になるものではない、
  3. 文化的所産である著作物(二次的著作物を含む)の「公正な利用」は、著作権法の目的(1条)にもすでに謳われている。そのほかのキーワードとして、「正当な理由(65条3項)」および「著作者等の権利の保護(1条)」も存在する。これらの文言は、いずれも、原著作者の権利のみを優先的に保護せよとの法意を規定したものではなく、原著作権者とパロディ作品の著作者をバランスよく保護する上では、むしろ、プラスに作用するものである、
  4. 権利は義務を伴い、例えば特許権侵害に基づく差止請求権ですら、状況によっては一定の制限を受けるという解釈が一般化しつつある、
  5. ゲームメーカーの大手である任天堂は、ゲーム映像を二次的に利用した一定範囲の創作物については、著作権侵害を主張しないと明言した方針を公表している、
  6. さらに、すでに紹介した「パロディワーキングチーム」も、現行著作権法の枠内における弾力的で柔軟な対応の可能性を追求するべきだとの結論を公表している、
  7. 判例の中には、すでに概観したように、著作権65条3項・4項の類推適用の可能性を示唆するものが存在している、

などの意見や事実が示しているように、パロディを取り巻く環境が大きく変化していることを無視できない。

このような情勢下において、二次的著作物であるパロディ作品に著作権法65条2項・3項の類推適用は可能である、とする提言・着眼は卓見である。よって、これに基本的に賛成したい。ここまで概観してきたように、議論の素材はすでに出そろっているので、この際、改めて、既存著作物のパロディ作品への利用について、著作権法65条2項・3項の類推適用を中心にして幅広く議論を深めるタイミングが到来していると考える。座して、ひたすら立法による解決を待つのでは、あまりにも芸がない。

著作権法65条3項・4項が類推適用された場合、二次的著作物であるパロディ作品は、どのように位置づけられるべきであろうか。類推適用により「二次的著作物が通常の著作物に変質する」と解したのでは理屈付けが難しく、明文の規定が存在しない以上、消去法的に見ても、そのパロディ作品は、著作権侵害に該当しない「特殊な二次的著作物(特別なジャンル)」と位置付けるほかないように思われる。しかし、最大の論点は、著作権法65条3項でいう「正当な理由」と何かということになり、議論の成り行きによっては、米国著作権法107条(フェアーユース)でいう四要件に近いものが、具体的な方策として登場するかもしれない。また、金銭的補償の問題を含めて、どのようにすれば、原著作物とパロディ作品について、一方に偏らないバランスの取れた取扱いを実現できるかという論点が、議論の中心になることも十分に予想される。

いずれにしても、著作権法65条の類推適用の問題を中心にして活発に論じられれば、パロディ作品に関する議論にも変化と厚みが生まれるこことは確かである。そのようになることを心から期待して、この雑文を閉じる。       

以上
—- <結城哲彦>—-