1 判決文の「,」
2 「公用文作成の要領」の見直しに向けた動き
3 なぜ「,」なのか?
4 「、」と「,」を著作者に無断で変えたら?
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[2] 杉原隆治=馬場崇「裁判文書A4判横書き化の紹介と東京簡易裁判所における訴状等の書式について」判例タイムズ1042号29頁(2000)
[3] 文部時報862号33頁(1949)、48頁。引用に当たって旧字体を改めました。
[4] 文化庁『国語施策百年史』(ぎょうせい、2006)387頁以下〔氏原基余司〕
[5] 早い段階で裁判文書の横書き化を主張していた論考として、千種達夫「法律公用文の横書」判例時報192号4頁(1959)があります(句読点には触れられていません)。千種判事は第1期国語審議会委員として公用文法律用語部会に所属していましたので(https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/01/bukai06/index.html)、「公用文作成の要領」の作成にもかかわっていたものと思われます。
[6] 例えば、「黄桃事件」(最判平成12年2月29日民集54巻2号709頁)の原審(東京高判平成9年8月7日・第6民事部)判決文や、「レールデュタン事件」(最判平成12年7月11日民集54巻6号1848頁)の原審(東京高判平成10年5月28日・第18民事部)判決文は、いずれも民集に「横書き・逆綴じ」で掲載されています。民集の紙面上、これら横書きの判決文では「,」ではなく「、」が使われていることも目を引きます。一方で、「キルビー事件」(最判平成12年4月11日民集54巻4号1368頁)の原審(東京高判平成9年9月10日・第13民事部)判決文は縦書きで掲載されているなど、扱いは一定していなかったようです。
[7] なお、平成13年以降(55巻以降)の民集は横書き・左綴じになっており、縦書きの原審・第1審判決を掲載するときは横書きに直して掲載しているようです(事件ごとにその旨の注記がみられます)。この場合も民集の紙面では「、」が使われており、これを「,」に置き換えることまではされなかったようです。
[8] 千種・前掲注(5)4頁。速記反訳の横書き化について東京地裁判事にアンケートをとったところ、「両論ほぼ同数で、横書き意見が一人多かった」とのことです。
[9] 山田尚勇「横書きの歴史・現状と評価」文学55巻6号25頁(1987)、29頁。出典として朝日新聞の記事が挙げられていますが、該当する記事は縮刷版で確認できませんでした。
[13] 朝日新聞2021年3月12日付朝刊33面
[14] https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kijun/sanko/pdf/kugiri.pdf
[15] 塩田紀和「公用文改善政策の沿革と新しい公用文の書き方について」文部時報895号65頁(1952)
[17] 同書59頁には、「日本語では在来の縦書きでも句読法や段落表示は発達が遅れていたので、その歴史をたどること自体大きな仕事になる」ゆえ、横書きの句読点については重要な問題ながらも割愛せざるを得なかったという記述があります。なお、同書には横書きの歴史に関する図版が多く掲載されており、例えば145頁には昭和17年度の小学校の国定教科書(理科)の写真が掲載されているところ、その句読点には「,」と「。」が用いられています。「,」と「。」の組合せが使われるようになったのは、少なくとも第二次大戦後のことではない、ということになるのかもしれません。
[18] 東京高判平成3年12月19日判時1422号123頁(原審・東京地判平成2年11月16日無体集22巻3号702頁)。なお、本件は原告・控訴人により上告がなされましたが、最判平成4年10月6日D1-Law ID28264925により棄却されています。
[19] 池田弥三郎「たて書き よこ書き」言語5巻9号2頁(1976)、5頁
〈 園部正人(RC)〉