1 裁判官からの視点

 私が裁判官として初めて知的財産訴訟に係わったのは、裁判官に任官して6年目の1983年4月に東京地裁民事29部(工業所有権部)に配属された時である。コンピュータ・プログラムを著作権の保護対象と認めたスペース・インベーダーPartⅡ事件判決は私が赴任する直前の1982年12月に言い渡され、丁度先日同判決から40年が経つということでニュースでも取り上げられていたように、随分昔の話である。当時の特許侵害訴訟は被告対象物件の特定に何年もの月日を要し、その後判決に至るまでにも長年月を要しており、提訴後1年程度で判決に至る現在とはおよそ異なる牧歌的な訴訟運営がされていた(特許ではないが、著名な智恵子抄の編集著作権をめぐる訴訟は1966年に提訴され、東京地裁判決は1988年に出されおり、一審だけで22年もかかっている。)。その典型が被告対象物件の特定手続きであった。当時私は若い判事補であったが、その頃は特許訴訟を扱える弁護士は多くはなく、東京高裁の専門部を退職して弁護士に転じた高名な方々が訴訟代理人に付いていた例も多かった。その一人の高名な元高裁の裁判長であった方が被告代理人についていた事件で、私はひとりで弁論準備手続きを担当していたが、原告側が被告対象物件を特定する書面を提出するたびに、被告代理人が原告側の特定について細かい点にまで指摘して否認し、被告側から自らの物件の構成を一切主張しないので、「原告主張を否認するのであれば、被告においてどこが、どのように違うのか積極的に主張して欲しい」と述べたところ、その高名な元高裁の裁判長であった代理人から、「裁判官はお若いので民事訴訟法の原則をご存知ないようですが、訴訟物の特定は原告が主張立証すべきものであって、被告から積極的にこれを明らかにする必要は一切ありません。」と一蹴されてしまった。私は、このような訴訟運営に困ったこともあっただろう元裁判官が、弁護士に転じるとこのように原理原則を振りかざすのかと幻滅し、以降この高名な元高裁裁判長が執筆していた多くの論考すら信用できないと思うようになった。その後 1996年の民事訴訟法改正に伴う民事訴訟規則79条3項の新設や、1999年特許法改正による104条の2(具体的態様の明示義務)の新設、さらには訴訟運営の改善によって、被告対象物件について被告側で原告主張を否認する場合には自己物件の具体的態様を明らかにすることが当然のこととされて、対象物件の特定に難渋することはなくなっていることは周知のとおりである。

 その後、しばらく知財訴訟から離れたが、1990年から1995年まで最高裁判所調査官として知財訴訟に係わることとなった。調査官は侵害訴訟控訴審の上告事件や東京高裁を専属管轄とする審決取消訴訟の上告事件等を担当するが、審理は殆どが書面のみで行われ、訴訟代理人と接するのは口頭弁論が開かれる際など極めて限られた場面しかなかったが、上告審の立場で、一審や控訴審の審理経過や判決の論理構成や結論の当否などの調査に当たることは、研究者的な側面を有しており、その後私が研究者・教育者の道に転進する大きなきっかけになった。

2 学者からの視点

 1995年に学者に転じてから2023年まで28年間学者として知財訴訟に係わってきた。その長い年月のことを簡単に述べることは難しいが、裁判官と学者の最も異なる点は、学者は自分の扱う対象を自分で選択し、研究分野を自分で選んで進んでいける点である。さらには、学者は研究と教育だけをやっていればよいものではなく、学者としての社会貢献が求められるいわば公人としての性格も有しているということである。社会貢献といえども、研究や教育に支障をきたすものであってはならず、常に研究や教育に相乗効果を及ぼすものである必要があるし、そのうえで産業や社会の発展に寄与する貢献でなくてはならないことである。

 この28年間における知財訴訟の最も大きな変化は、知財訴訟特に特許関係訴訟において、最先端の技術を国の内外の大企業が争う場面が多くなってきたことである。前述の40年前のスペース・インベーダーPartⅡ事件判決は、当時初めて一般紙の一面トップを飾った著作権に関する事件であったが、それまでもまたその後も暫くは特許訴訟が世間の注目を浴びる例は少なかった。しかし最近では、日本製鉄とトヨタ自動車といった日本を代表する大企業どうしが訴訟当事者となったり、あるいはAmgen対Sanofi事件のような抗体に関する先端技術が訴訟で争われたり、特許訴訟が国内外の大企業どうしの知財戦略の一環として利用される傾向が顕著となっており、昔の特許訴訟とは様変わりしている。

3 裁判官、学者を経た弁護士から見た現代特許侵害訴訟の特色

 2023年4月から弁護士の立場で知財訴訟に係わることになった。今年(2023年)12月には私が2002年に有斐閣から発行して以降3年ごとに改訂している標準特許法の第8版が発行されたが、その帯は「Return! 」と大きく書き、「裁判官、学者を経て実務に復帰した視点を交えた第8版」と付記した。お堅い法律書としては異色の帯であるが、私の本書改訂の指針でもある。28年間も研究者・教育者として知的財産に関わってきて、実務と離れた立場にいたが、私の標準特許法は常に実務に採用される理論の構築と解説を目指しており、そのため現役の知財訴訟担当の裁判官や弁護士・弁理士とも研究会を継続的に行ってきた。とはいえ、裁判官を辞して28年も経ち、生々しい訴訟の第一線に臨む機会は全くなかったといってよい。

 この度、生々しい特許訴訟の第一線に臨むことになり、昔とは様変わりした現代特許侵害訴訟の特色について指摘しておきたい。

 まずは、前述のように、特許訴訟が国内外の大企業どうしの知財戦略の一環として利用される傾向が顕著となっていることであり、訴訟の進行や戦略も洗練されてきているということである。そのひとつは、特許訴訟の計画的な進行である。ネットを利用した弁論準備手続の活用もあって期日が迅速に進行できるようになっていることや、無効論を含んだ侵害論の審理が行われた後に、その区切りとしての技術説明会が実施されて裁判所による積極的な心証の開示が行われ、その後は開示された心証に従って損害論の審理に進むといった手順は、以前とは様変わりした合理的な進行手続きである。特に技術説明会においては、原被告双方代理人が、米国の連邦控訴裁判所や連邦最高裁判所における弁論さながらに、技術内容や侵害論に係わる主張を簡潔に行い、さらに私が驚いたのは、その後に裁判官から積極的な心証開示が行われることである。一般の民事訴訟では、和解勧試に際して裁判官の心証が個別に開示されることはあるものの、原被告双方立ち合いの下で裁判官から勝ち負けの意見が述べられることは通常は想定できず、知財訴訟独特のものということができる。これは、知財訴訟特に特許訴訟では特許訴訟に精通した代理人弁護士が双方についていることが多く、審理計画に則って手続きが進行する過程で、原被告と裁判所間によい意味での協調関係・信頼関係が醸成されるからではないかと思われる。以前は、裁判所が心証を開示しても、その内容に納得しない代理人が同様の主張を蒸し返す例もあり、そのような場合には審理に区切りをつける意味で弁論を終結したうえで中間判決がされる例もあったが、最近ではこのような例は極めて少なく、裁判所の心証開示に双方ともに異論を差しはさむこともなく、その後の手続きに粛々と進んでいるというのが実感である。

 ということは、裁判所から心証開示があるまでに、裁判官を説得できる事実認定や論理を展開しておく必要がある。私は、裁判官時代に一審判決を書く際には、控訴審の審理担当裁判官が納得する事実認定や論理展開に心がけてきたし、研究者時代においても、常に実務に採用される理論の構築即ち事件を審理するかも知れない裁判官が納得する理論の構築を目指して来た。そして今、弁護士として事件を扱うに当たっても、審理を担当する裁判官を説得できる事実認定や論理構成こそが命であることを実感している。ただし、当該事件からどのような事実を認定し、その事実からどのような論理を構成するかは、それぞれの事件によって千差万別といえる。事案の相違に留意することなく、論理の一貫性だけを追及することは、研究者であっても許されることではないことはもちろんである。

 結局は、研究者であったときと同様のスタンスで、弁護士として事件を扱って行けばよいのではないかと考えているところである。

高林龍先生(早稲田大学名誉教授、RCLIP顧問、弁護士)