薫風香る5月……と言われるが、薫風は夏の季語だそうだ。折しも両国では大相撲5月場所の力士のぼりがひらめいている。ただし、このコラムが載る頃は終わっているかもしれない。
ところで、相撲の世界では勝ち負けとは別に、振る舞い、品格が重要視されている。その一つが「駄目押し」と言われる行為である。「勝負が既に決まっているにも関わらず、さらに相手を押したり倒したりすること」を駄目押しと言い、この無駄な行為が「品格がない、日本の美学にそぐわない」と批判の的になる。その一方で、勝ったと思って気を抜き、逆転負けを屈すれば「詰めが甘いんだよ!」とこれまた批判の対象となる。力加減のしどころが難しい。
「駄目押し」を辞書で引くと、「念のためにさらに念をおすこと」とされている。元々、「駄目」という言葉自体が囲碁用語で、どちらの地にもならない空所のことで、念のため、ダメを埋めて地を分かりやすくするために石を置くことを駄目押しと言い、これが転じて既に勝負が決まっている時に、さらに勝負を確実にするために念を押すことを駄目押しというようになったという説明もある。
一方、同じスポーツでも「駄目押しの3ラン!」の見出しがスポーツ紙を飾れば、これは痛快の褒め言葉となる。スポーツ紙を何紙も買って喜びに浸るファンもいる。勝負を決定的なものにし、とどめを刺すというという点では相撲と同じことだが、一方は批判的に扱われ、一方は痛快劇として扱われる。
更に自分が歩んだ世界では「ダメ押しを忘れるな!」と厳しく言われている。化学プラントの操業に長らく係わってきたが、安定・安全操業の要諦として「ダメ押し確認」が必須であった。そう思い込んでいた、ついうっかり、という言い訳は通じないので、特に「だ・ら・は」に基づく曖昧判断は厳禁だ。~だろう、~らしい、~のはずだ、の頭をとると「だ・ら・は」になる。これを戒めるには、「念には念を入れて確認せよ」、「もう一歩の詰めを忘れるな」、「処置だけでは駄目だ、歯止めで再発防止までやらなければ」などがスローガンとなる。ダメ押しは言わば必須アイテムとなっている。
このことは安全を使命とする他の職種でも共通している。例えば電車の運転であれば、運転士は「信号よし」「出発進行~」「制限六〇キロ」などと大きな声を出し、同時に片手を上げて信号や速度計を指さして、前方の安全を確かめている。車掌は身体を乗り出して目と指先でホームの安全を確かめ、「発車ヨーシ」と声を出してからドアを締めている。思い込みや思いちがいのミス、うっかりのミスを防ぐには、頭で考えるだけでなく、五官をフルに活かして、一つひとつダメ押しする慎重さが求められている。「駄目押し」は必須の世界ということだ。
そうしてみると、一つの言葉でも嫌われる行為、痛快な行為、必須な行為として意味づけが異なって扱われる。
翻って知的財産の分野では「駄目押し」はどのような位置づけで捉えられるだろうか。「だろう、らしい、はずだ」と言った曖昧さの排除が知的財産侵害のアウト・セーフを決める重要要素ではないかと思う日頃である。
(事務局 結城 命夫)