「著作権」と聞けば、このコラムを読まれる方の大部分はすでに「耳にタコ」で、いまさらと受け取られるかも知れない。しかし、著作権を学び始めたばかりの者やこれに興味を抱いている者にとって、著作権の概念は複雑でわかりにくいのではないかと思われる。その理由の一つは、著作権という用語自体が、法律の中で定義を持たないまま、「著作者の権利(財産権・人格権)」や「著作物の伝達者の権利(著作隣接権)」の総称として広義に用いられ、また、「著作者の権利」を構成する個々の財産権(たとえば、「複製権」や「公衆送信権」。以下では、説明の便宜上「著作財産権」と表現する)の総称としても用いられているからである。さらに厄介なことは、著作財産権として著作権法で規定されている個々の「○○権」における「権利」の意味が、一般常識でいう「権利」の概念とその趣をやや異にしている点である。

 筆者にも経験があるが、ある著作権に関するセミナーで、出席者に「複製権とは著作者が複製することのできる権利ですか」それとも「他人に無断で複製されない権利ですか」と尋ねたところ、前者と答えた人が多数を占めたことは一度や二度ではない。どうやら、一般常識でいう「権利」と著作権法でいう「○○権」の権利との間には、認識のギャップが存在しているようである。

 岡本薫氏は、その著書「著作権とのつきあい方」(2007商事法務81頁)で、たとえば著作権の本質をよく理解していない作曲家に、「あなたは自分の作品について、放送権(注:現在は公衆送信権に統合されている)を持っている」と言ったら、「私は放送局でないし、放送設備も持っていないので、放送権なんていらない」と言われるようなことが起こる、と述べておられる。また、実際にあった話として、ある無名の脚本家がテレビ局に自分の脚本を持ち込み、「私は著作権法によって放送権を持っている。だからこのドラマを放送しろ」と言ったことがあるそうだ、とも述べておられる。前者の例は、「他人に無断で放送(公衆送信)されない権利」を「自分が放送できる権利」と誤解した結果である。また、後者は、「他人に無断で放送(公衆送信)されない権利」を「放送させることができる権利」と誤解していた結果である。いずれも、「されない権利」を「できる権利」と誤解した例である。

 著作権法の著作財産権に関する各条文は、このような誤解を招かぬように、単に「○○する権利を有する」という表現ではなく、「○○する権利を専有する」と規定している。したがって、このような誤解が生じるのは、条文に不備があるからではない。しかし、この条文にある「専有」(自分だけが○○することのできる権利を独占的に持っている、という意味である)の2文字から、この条文を一読した人が、著作財産権とは、「無断で○○されない権利」であるという本質をストレートに理解できるとは思われない。
また、著作財産権について解説している書物は、例外なく著作財産権を「排他的権利」という概念で説明しており、他人が無断で行った行為に対して、差止請求や損害賠償請求が「できる権利」だと説明している。この説明自体に誤りはない。しかし、この説明では、法律的なバックグランドの乏しい人が、著作財産権の本質を理解できるとは思われず、すでに述べた事例のように、著作財産権は、「○○できる権利」だとの誤解を招きやすい。

 このように見てくると、著作財産権の本質的な性質を「できる権利」として表現・説明するよりも、「複製権は、他人に無断で複製されない権利である」というように、「されない権利」として表現・説明する方がわかりやすく、また、誤解される危険性も少ないと考える。その意味で、岡本氏の「無断で○○されない権利」という説明は、著作財産権の本質をズバリついた適切な極めて表現であり、これに賛成したい。岡本氏流に「複製権」を説明すれば、それは、「著作者には、自分の著作物を無断でコピーされない権利がある。だから、他人が、無断でコピーしようとしたら、ストップをかけることができる。」ということになる。

 既存の解説は、この例からもわかるように、どうやら、前段の説明を省き、後者を強調したもののようである。ここまで書くと、「誤解する方が悪い」という声が聞こえてきそうである。しかし、著作財産権が、我々の生活の中で身近な存在となってきている今日、これを「寄らしむべし、知らしむべからず」にしてはならず、「寄らしむべし、知らしむべし」でなければならない。

 要するに、多くの人の誤解を招かないように配慮した目線が必要である。したがって、著作権の本質については、著作者が自分で複製や公衆送信などが「できる権利」であるのは当然のこととして、むしろ、それよりも、他人に無断で複製や公衆送信などを「されない権利」であることに本来的な意味があることを、もっともっと強調する説明があってしかるべきだと考える。

 蛇足であるが、去る9月30日、東京地裁で、「自炊代行」について初めての司法判断が下された。この判決を聞いて、「代行行為そのものが悪」と受け取った人がいるかもしれない。しかし、著作権法は刑法ではない。判決は、著作権法に規定されている利用行為を「無断」で行うと違法になると判示しているに過ぎないのである。逆に、「了解・許諾」を得て行えばよいといっているのであって、「行為そのものが悪」といっているわけではない。しかし、刑法では、「頼まれたから」「本人が了解しているから」は通用しない。ここに、著作権法と刑法の基本的な違いがある。この際、著作権法における「無断」や「許諾」の意味と重みを、あらためて思い起こす必要がある。

(RC 結城 哲彦)