ハンガリー舞曲。ドイツの作曲家ヨハネス・ブラームス(1833-97)の代表作のひとつとして知られており、中でもその第5番は、誰しも耳にしたことのあるエキゾティックな旋律が魅力的な小品である。また、この曲集は公表後、エドゥアルト・レメーニ(1830-98)ら他の音楽家から自作の盗用であるとの非難を受け物議を醸したという逸話でも著名である。

 その経緯は次のようなものである――ブラームスは10代後半、若手作曲家として知名度を確立する以前に、ヴァイオリニストであるレメーニの伴奏ピアニストとして演奏旅行を行っていた時期があった。その旅の中で、レメーニから、ロマの民謡などとして数々の旋律を教えてもらった。ブラームスはそれらの旋律をもとにして、1869年に、4手ピアノのための「ハンガリー舞曲集」(第1集)を作曲し、出版する。この曲集は、出版されるや否や、瞬く間に大好評を博し、さらにブラームス自身の手により管弦楽にも編曲され、世界的に演奏されるにいたった。その成功に面白からぬ感情を抱いたのがレメーニであった。レメーニは、1870年代以降、旧来の盟友ブラームスと袂を分かち、『ハンガリー舞曲』に自作が無断で利用されていると喧伝した。しかし、この論争は、ブラームスが、楽譜の出版に際し、ブラームス「作曲」ではなく「編」(gesetzt von Johannes Brahms)と銘打ち、自己の作品番号も付さずに―つまり、「自作」とはいわずに―公表していたという事実を主な理由として、盗用にはあたらないとの一応の決着を見たとされる。

 とはいえ、仮にこれらの事実に基づき、現代各国の著作権法の複製権・編曲権あるいは同一性保持権の枠組みで判断するとすれば(そして例えば現代ドイツ法の自由利用(24条)や音楽作品への引用(51条)、フランス法のパロディ許容規定などを考慮しないとすれば)、ブラームスに史実より不利な結果が生じる可能性も高いように思われる。そのように考えれば、古典的な著作権思想に多大な影響をもたらし、現在頻繁に個人主義的刻印が強すぎる時代の産物としてしばしば批判される「19世紀ロマン主義」が花開いた時代の著作権観念は、実は他人の創作的成果の創造的な利用に対し現在より寛容であり、その寛容さこそがまさに世界的な名曲の普及にも貢献したという、些か逆説的な事実が見て取れるのではないだろうか。

(RC 志賀典之)