安倍首相が、集団自衛権に関する安保法案についての説明に、複数の紙の家の模型を使用し、「現在の法律では、日本は米国の火事の消火を手伝えない。」と述べ、米国旗の描かれた紙の家の上に炎の模型を置くなどしたことについて、野党議員が、「説明としては極めてとんちんかんだし稚拙」、「国民を馬鹿にしている」、「いささかミスリーディング」、「逆効果」等と批判をしているところが、テレビで報道されていた。確かに、私は、首相の説明に呆れたが、野党議員の批判についても、どのような意味において「とんちんかんで稚拙」であり、あるいは「ミスリーディング」であるのか、言及がないため、単なる感想に過ぎず、説得力がない、と感じられた。しかるべき野党議員が、その理由を述べていないはずがない(と信じたい)から、これを割愛して結論部分のみを放送したとすれば、その報道の方法に問題があろう。
 確かに、直感的には、安保法案を論ずるのにはお粗末な例えであるし、国民を馬鹿にしているように多くの人が感ずることは容易に推測できるが、「子供だましの例え」と片付けるだけで、正当な批判にはなりえないだろう。例えば、上記のような例えは、朝鮮半島や満州等への日本の干渉の歴史が、「日本の隣国に対する他の大国による侵略、干渉に対する救済」の名目で行われてきた歴史を想起させ、一見、理解しやすいが、欺瞞的となりかねないこと等、過去の歴史との対比等によって検討すべきである。ところが、実際にこれを論理的に説明してゆこうとすると、より本格的な反対説も出てきて、大体の場合、そう簡単でない。何でも、きちんとした説明を簡潔に行うことはむずかしい。
 話しは少し違うが、文藝関係の著作権に関するトラブルを扱っていると、かなり極端な違法行為に遭遇することがある。一見、その違法性については、詳しい法的構成を論ずるまでもない、と思えるが、実際にその構成を試みると、意外に問題点を感ずることがある
 そんな事例を2件ばかり紹介してみよう。
 1件目は、いわゆる「著名作家」Aの書いた文書が、別の作家Bの書いた文書の複数の部分をそれぞれ、かなりの行数にわたり、ほとんどそのまま使用(複製)して書かれていたというもので、被害にあった作家Bが、驚いて、これを指摘したところ、当該著名作家Aがやってきて、「ゴーストライターCが勝手に借用して書いたもので、自分は全く知らなかったんだから」、重大な責任はないかのようなことを強く言われた、というものである。
 2件目は、著名なアーティストPが死亡して、ある雑誌Dがその追悼特集を企画し、その中で、Pを知る作家Q、R等の有名人による追悼文が掲載されていたが、実は、Q、R等は、当該追悼文を書いた覚えがなく、全く知らなかった、という。調査してみると、当該雑誌Dの担当記者Eが、時間がないため、以前、別の雑誌に掲載された当該有名人のPについて当該有名人Q、Rが述べた文章を継ぎ合せ、あるいは、記者EがアーティストPに関してQ、R等から取材した際のメモに基いて、この人なら、こういうことを言うはずだ、という全くの推測で、追悼文をそれぞれ作った、ということが判明した。雑誌社Dは、勿論非を認めたが、その謝罪が、上記記事は「未許諾および不適切な引用」であった、というものであったため、問題が大きくなった。
 両案件とも、呆れて口が塞がらないもの、「愚かな」の一言で終わるようなものであるが、これをどのような法的根拠に基づいて、どのような請求が可能であるか、考え始めると、意外に、おや、と思うところもある。
 第1件目については、誰もが、Aが法的責任を取るべきことに疑いがないと直感するであろう。
 そこで、その法的構成を考え始めると、知的財産権に関わるものとしては、まず、著作権法上の責任を考えるであろう。
 そうすると、ゴーストライターCが実際にBの文書を複製してA名義の文書を作成した張本人であり、他方、著名な作家Aの方は、自己の手足として、ゴーストライターを使用したものであるが、他人であるBの著作物に依拠してこれを再製するという複製の意思は全く有していない。そうすると、著作権法上、作家Aが法的責任を負うべき根拠は、何か。
 Aが、自己の手足として使用したCに対し、Bあるいは他人の文書を複製使用してA名義の文書を作成することを指示、あるいは示唆も許容もしたことが全くなかった場合にまで、Cがした行為を全てA自身がなした行為であるとみなして、Aに対して複製権侵害の責任を追及することができる、という法律構成は、手足論としては、やや無理があろう。
 著作権法15条の職務著作と考えて、使用者Aを著作者とし、業務に従事する者Cの複製権侵害行為もAがなしたものとすることができるかどうかについては、職務著作の規定の趣旨に関わり、それ自体ひとつの法律問題であるが、そもそもAは法人ではないし、AとCとの関係が、使用者・従業者の関係にあるのか、外部からは不明であり、単なる業務委託の関係にあることも十分予想され、使用者の範囲について厳しく解釈されている同法15条の規定の適用が困難であることが予想される。
 民法715条の使用者責任の規定を適用すれば、「使用」の範囲を職務著作より広く解釈し、Aの使用者責任を主張することは可能である。やはり、使用者性の認定の問題が残ること、使用者Aが、被用者Cの選任及びその作業の監督に相当の注意をしたことを主張、立証したときには責任を免れること、などの問題は残るが、この構成は比較的無理のないものであろう。
 なお、ゴーストライターへの業務委託ということになると、注文者であるAの責任は、民法716条により、原則としてCがその仕事について第三者に加えた損害を賠償する責任を負わないから、民法上、Aの責任を追及することには困難が伴う。
 ところで、そもそもAについては、Bの著作物を含む文書について、Aの氏名表示のみをしているものであるから、Bの氏名表示権(著作権法19条)を侵害するものであること、Bが指摘した時点から、同法113条1項2号のみなし侵害行為に該当することになり、頒布などが許されないものとなること、を主張することは確実にできよう。しかしながら、これらの構成による請求は、Aの行為の違法性を真っ向から捉えたものではないという感を受ける人も多いのではないだろうか。
 2件目の例のうち、記者Eが全くの推測で、追悼文をそれぞれ作ったという事案は、いわゆるなりすましであるが、このような場合に、まず、著作権法上、どのような権利行使が可能かを考えると、それほど容易でない。
 すなわち、著作権法上は、まだ、Q、R等の有名人は、著作物を著作していないのであるから、その複製権や翻案権の侵害は問題とならず、また、著作者人格権も、著作物について著作者に生ずるものであるから、著作をしていないQ、R等について、これらの権利侵害とはならない。有名人の氏名の冒用行為であるから、民法上の人格権としての氏名権、最高裁判決で認められたパブリシティー権の侵害ということで、構成せざるを得ない。
 著作権法上、このような行為を直接規制する行為はないものかと検討すると、罰則を定めた著作権法121条に「著作者名詐称の罪」が非親告罪として規定されており、出版社、記者等に対する脅威にはなる。著作物を基準に権利関係が整備されている現行法においては、上記のような文書のねつ造、なりすましについては、規制する必要は痛感しながらも、罰則に残す以外に方法がなかったのであろう。
 以上のように、著作物に関する、一般的にみて明らかな違法行為と認められる行為であっても、著作権法以外の法規によって救済を図ったり、著作権法の諸規定を工夫して適用を図らなければ、救済できない場合がある。
 これらの法律構成を法律に詳しくない作家や一般人に分かりやすく説明することは、決して容易ではないが、怠ることはできないと考えている。

(RC 富岡 英次)