知的財産基本法4条は,「知的財産の創造,保護及び活用に関する施策の推進は……我が国産業の国際競争力の強化……に寄与するものとなることを旨として,行われなければならない」と定めている。一読して違和感を持たれない読者も多いかもしれないが,筆者はこの条文に違和感を覚えてきた。以下,その理由を説明しよう1。
最初に述べておくと,筆者は,特許法の産業政策的性格については異論がない。それは,単に特許法の目的が「産業の発達」(特許法1条)であるからに止まらない。むしろ,重要なのは「産業政策」の意味である。
産業政策とは何か。経済産業省(旧通商産業省を含む)が実施する政策のことであると言われることもあるが,これでは産業政策が何たるかはわからない。そこで,経済学における産業政策の定義を参照してみよう。それによると,規範的にみてあるべき「産業政策」とは,「競争的な市場機構の持つ欠陥-市場の失敗-のために,自由競争によっては資源配分あるいは所得分配上なんらかの問題が発生するときに,当該経済の厚生水準を高めようとする政策である。しかもそのような政策目的を,産業ないし部門間の資源配分または個別産業の産業組織に介入することによって達成しようとする政策の総体」2である。
つまり,産業政策が正当化されるのは,市場の失敗が存在する場合である。そしてその場合に,産業部門の資源配分に影響を与える政策手段―伝統的には,予算・税(税制上の優遇措置)・財政投融資―により,より望ましい資源配分の実現を目指す政策が適切な産業政策である。もっとも,政府の介入が社会的に見て真に望ましい資源配分を実現するとは限らないし,ある政策が市場の失敗とは無関係に単にロビイングの成果に過ぎないといったことも生じ得る(政府の失敗)3。
これに対して,国際競争力4が低いことは,市場の失敗の存在とは関係がない5。国際競争力の低下が市場競争の結果ならば,市場は機能しているのであって,国際競争力は競争を通じてしか強化されない。であれば,本来,政府の出る幕はない(はずだが,現実は必ずしもそうではない……)。
それどころか,ノーベル経済学賞を受賞したクルーグマンは,国際競争力という名目で立案される政策が保護主義を招きかねない危険性すら指摘している6。ラフな表現を使うなら,国際競争力強化を掲げた産業政策は「胡散臭い」のである。
さて,話を特許法に戻して,まず,特許法の産業政策的性格を確認しておこう。周知のとおり,無体物である発明は,消費の非競合性と非排除生という公共財的性質を有している。そのため,法的保護がなければフリーライドが生じ,民間の研究開発投資が過小になってしまう(市場の失敗)。そこで,そのような市場の失敗を解決するために発明者に排他権を付与して創作活動へのインセンティブを与え,産業界の資源配分に介入する政策が特許法であるということができるだろう7。
問題は,国際競争力強化を旗印にする知財政策である。先に国際競争力の名の下の政策が保護主義につながりかねないというクルーグマンの懸念を紹介したが,知財分野でもその懸念は杞憂ではない。以下,具体例を一つ紹介しておこう。
それは,大学等で生まれた発明を技術移転する際の制約である。文部科学省の審議会によれば,「大学等は,その研究開発の成果について,……我が国の国際競争力の維持に支障を及ぼすこととなる技術流出の防止に努める必要がある。」8。そもそも大学等が国際競争力への影響を判断できるのかという疑問はさておき,大学発明の移転先は,基本的に市場に委ねるべきである。重視されるべきは,大学発明の実用化に適しているのはどの主体かという点であり,当該主体が国内企業か外国企業かは,発明の実用化とは関係がない。
実は,大学発明の利用率は極めて低い。2013年度時点で見ると,全企業平均の特許利用率が約52.0%であるのに対して,大学・TLOの利用率は約20.9%と,全産業平均の半分以下に過ぎない9。そもそも大学が特許を取得する意義は,ライセンス等を通じて技術移転を促進することにあると考えられるのであるから,大学等における利用率の低さは,特許出願自体が自己目的化している,あるいは,出願段階の見極めが不十分である可能性を示唆している10。とすれば,むしろ利用率の低さこそが問題であるにもかかわらず,外国企業へのライセンス等を制限しようとすることは,本末転倒である。国際競争力の旗印の陰に保護主義的な発想が見え隠れする好例といえよう11。
その他にも,例えば,著作権の存続期間の延長に反対する議論(この立場自身は筆者も賛成である。)において,著作権料の収支が赤字12であることがその理由として挙げられることがある。この議論は,実は危険である。というのも,この議論は,裏を返せば,著作権料収支が黒字なら存続期間を延長してもよいことを認めることになるからである。そして,さらにいえば,例えば,著作権料収支が黒字と思われるセクター(例えば,アニメ?)についてのみ存続期間を延長する,といった議論にまでつながりかねない。ここでの問題は,著作権法を著作権料収支改善のツールと見ている重商主義的発想にある。
以上のとおり,国際競争力の「胡散臭さ」-その背後に保護主義的あるいは重商主義的発想が隠れているかもしれない危険性-は,知財分野でも決して無縁ではない,というのが筆者の懸念である。これ以上その懸念が現実のものとならないことを願いたい。
- より詳細は,拙稿「知的財産政策と新たな政策形成プロセス」知的財産法政策学研究46号(2015年)64~66頁及び拙稿「特許制度の基礎理論の研究:経済効果の検証と制度設計上の留意点」知的財産研究所「知的財産に関する日中共同研究報告書」(平成27年3月)96~98頁を参照。
- 伊藤元重ほか『産業政策の経済分析』(東京大学出版会,1988年)8頁。
- そのような批判もあり,産業政策は,世界的にはもちろん,我が国でもその影が薄くなっていたが,2008年のリーマンショック後の世界的経済危機を契機に,世界的に再び脚光を浴びているようである。しかし,そのような潮流を肯定的に捉えていると思われる経済学者であっても,やはり政府の失敗の危険性を指摘している。以上の点につき,大橋弘「産業政策を問う㊦」日本経済新聞2013年4月2日28面,同「戦後70年産業政策の変遷㊦」日本経済新聞2015年7月16日31面,岡崎哲二「産業政策を問う㊤」日本経済新聞2013年4月1日17面参照。
私見をいえば,市場への政府介入の是非は,結局のところ,市場の失敗と政府の失敗のどちらがましか(less worth)という問題に帰着する。これは,悩ましい問題だが,筆者自身の行政官経験から一つ言えることは,市場は失敗しても言い訳しないが,政府は失敗を認めない(あるいは言い訳する)ということである。 - そもそも「国際競争力」という語は,頻繁に使われるものの,その内容が実は曖昧であることは,国際競争力の旗を掲げる政府自身が認めるところである。内閣府「平成25年度年次経済財政報告」(平成25年7月)159頁。
- 小宮隆太郎『日本の産業政策』(東京大学出版会,1984年)6頁。
- ポール・クルーグマン「競争力という危険な幻想」同(山岡洋一訳)『クルーグマンの良い経済学悪い経済学』(日本経済新聞社,1997年)18頁。
- もっとも,実証的に見ると,特許制度の全般的な経済効果は必ずしも明確ではない。拙稿・前掲注(1)91~95頁参照。
- 科学技術・学術審議会産業連携・地域支援部会大学等知財検討作業部会「イノベーション創出に向けた大学等の知的財産の活用方策」(平成26年3月5日)9頁。これは,研究開発力強化法41条1項が同旨を定めていることを受けたものである。なお,同様の制約は,日本版バイ・ドール制度と呼ばれる産業技術力強化法19条の下で,国等の委託・請負による研究開発成果の知的財産権が帰属することとなった受託者・請負者が当該知的財産権を移転等する場合の国の事前承認の際にも課せられている。経済産業省産業技術政策課成果普及・連携推進室「経済産業省における日本版バイ・ドール制度の事前承認制の適用について」知財ぷりずむ9巻97号(2010年)75頁。
- 特許庁「平成26年知的財産活動調査結果の概要」10頁。
- 拙稿「大学特許の意義の再検討と研究コモンズ」知的財産研究所編『特許の経営・経済分析』(雄松堂,2007年)301頁。
- 大学には税金が投入されているから,技術移転先として国内企業が優先されて然るべきとの議論があるかもしれない。しかし,そもそも大学発明は5件に1件程度しか利用されていないのであって,国内企業優先などという前に,利用率を上げるのが本筋ではないか。国内企業が目を向けない大学発明を外国企業が実用化したとすれば,それは単に目利き能力の差に過ぎない。また,その場合には大学はライセンス料を得るので,発明が未利用の状態よりは,よほど納税者の利益に適う(その金額分の税金投入が節約できる。)。
- 2014年度は,約7500億円の赤字である(日本銀行,国際収支,時系列データ検索サイト)。
(RC 中山 一郎)