2012年4月に提起された新日鐵住金(当時新日鐵)・韓国POSCO社間の営業秘密の不正取得・使用をめぐる争い、及び2014年3月に提起された東芝・韓国SFハイニックス社間の営業秘密の不正取得・使用をめぐる争いは、ともに本格的な営業秘密にかかる事件として世間の注目を集めていたが、前者については2015年9月30日付で韓国企業が300億円を、後者については2014年12月13日付で韓国企業が330億円を、それぞれ支払うことで和解が成立し幕を閉じた。営業秘密の研究者としての末席を汚している者としては、事件に関する公開の資料を入手することが事実上困難となり、正直なところいささか残念な気持ちに見舞われている。しかし、2016年1月1日から施行されることとなった不正競争防止法の改正(特に5条の2の新設と、罰則の大幅引き上げ)は、この二つの事件が直接の引き金となって行われたものである (日経新聞2014年5月20日朝刊参照)。また、実務の指針である「営業秘密の管理指針」(経済産業省策定)も2015年1月に改訂され、秘密管理性に関するガイドラインの垣根も低いものに改められた。鉄壁な秘密管理を求めることは現実的でない、というのがその理由である。
営業秘密制度の法改正に関する評価は別に機会に試みることにして、今回は常に営業秘密の中心的な論点となる秘密管理性について、思いつくまま少し触れてみることにしたい。
わが国の場合、「秘密として管理されている技術上又は営業上の有用な情報で非公知のもの」が営業秘密であると定義され(不正競争防止法2条6項)、同時に、その定義による営業秘密がそのまま法的保護の対象となる営業秘密であるとする一段階の方式が採られている。このことを最初に指摘しなければならない。言い換えれば、秘密管理性という要素によって、営業秘密の概念要件と保護要件が一体化されている。したがって、原告が、秘密管理性の存在を立証できなければ、そもそも営業秘密が最初から存在しないこととなり、法的保護の対象となる営業秘密の有無について審理が行われることなく、訴訟は原告敗訴で終了することになる。これがわが国の基本的な枠組みである。
これに対して、米国や中国の場合は、関係の規定(米国の場合:連邦統一営業秘密モデル法第1条(4)、中国の場合:不正当競争法10条3項)を見れば明らかなように、最初に、営業秘密とは何かという概念を明確に定義し、次に、営業秘密の概念に該当する情報のうち保護対象となる営業秘密を明らかにするというように、二段階の方式で営業秘密が法制度化されている。言い換えれば、秘密管理性の有無とはいったん切り離して営業秘密に該当するか否かを原告の立証に基づいて最初に判断し、その後に、その営業秘密のうちから、原告及び被告の主張その他の要素を総合考量して、裁判所が秘密管理性のある営業秘密を認定し、法的保護の対象を確定する二段階のプロセスが採られている。つまり、営業秘密の概念要件と保護要件は峻別され、秘密管理性はもっぱら保護要件の構成要素として位置づけられているのである。
第二に、秘密管理性という要件を満たさなければ、最終的に営業秘密としての法的保護は得られない。したがって、この点から判断する限り、日米中の定義は同じように見える。しかし、実は大きな違いがある。すなわち、保有者の秘密管理とその措置が必ずしも十分でないため情報の漏洩や侵害という事実が発生しているにもかかわらず、「秘密管理に落ち度はなかった」という立証を全面的に原告である保有者に求めるというのがわが国の制度である。このことは、原告に最初からハンディキャップを負わせるに等しく、そもそも無理があるように思われる。また、秘密管理性の解釈や立証責任の負担に関する運用次第では、有用性と非公知性を具備した秘密情報で法的保護に値するものを入り口で切り捨ててしまう危険性がないとは言い切れない。わが国における原告の勝訴率が20~25%と低いのは、立証責任の負担が原告に重くのしかかっていることに影響を受けているのではないか。このような懸念や疑問がどうしても払拭できない。これに比して、米国や中国の場合には、このような問題が発生する構造にはなっていない。秘密管理に関する立証の程度や負担については、裁判所に裁量権が与えられた柔軟構造の制度設計になっているからである。
わが国の先行研究は、営業秘密の定義にかかるこのような歪みについてはほとんど論じていない。理由は不詳である。
第三に、裁判所の姿勢であるが、判例は、早くから秘密管理性について、①その情報を秘密であると認識できる措置が講じられていること、②その情報へのアクセス制限がなされている、の二つの基準を示している(東京地判平成12・9・28「医療器具顧客名簿事件」判例時報1764号(2002)104頁)。この基準は、営業秘密の存在を外部者が認識できる状態にあるか否かで判断することを明らかにしているので、概念要件との関係では整合性が取れている。しかし、保護要件との関係では、主観的な要素を排除する趣旨に解釈できる。少なくともその余地があり、裁判例がいわゆる厳格説と緩和説の間で揺れる原因の一つになっているように思われる。また、この基準は、概念要件と保護要件を区別せずに、秘密管理性を第一要件として判断する運用の根拠にもなっており、その運用を誤ると、有用性と非公知性を有する秘密情報を審理もせずに切り捨ててしまうことにもなりかねない。
現実の事案を見ると、ほとんどの場合、第一段階で秘密管理性の有無が審理され、この要件を満たしていない情報は、「その余の要件は判断するまでもなく・・・」として退けられている。この手順は、適法ではあるが適正ではないと考える。秘密管理性の解釈・運用次第では、有用性や非公知性のある情報で営業秘密として保護されてしかるべき事案を入り口で切り捨ててしまう危険性を除去できないからである。
営業秘密の要件を審査する順番は法定されていないが、国際的な比較から見ても、秘密管理性最優先の審理の順番は改めるべきだと考える。このことを、この機会に指摘しておきたい。
この主張に対しては、「最終的に否認するのであれば、回り道などせず秘密管理性が第一要件であっても一向に差し支えない」という反論がたちまち聞こえてきそうである。しかし、訴訟の場合、その結論に至った過程も、結論に劣らず重要である。訴訟の在り方として、いたずらに経済性や効率に走ることが果たして妥当であろうか。また、現実に、第一段階で有効性や非公知性を審理してその要件の具備を認めた後、第二段階として秘密管理性について審理し、最終的に営業秘密の存在を否定している事案が実在していることも忘れてはならない(過去にも実在しているが、最近の事例を挙げれば、大阪地判平成22・10・21「不正競争行為差止等請求事件、LEX/DB25442811」)。
結論として、現行の営業秘密の定義における秘密管理性をもっとも矛盾なく解釈・運用する道は、次のようになるのではないか。
すなわち、第一段階として、営業秘密に相当する情報が存在するか否かという概念要件を、当該情報の保有者の秘密保持意思の表明、有用性及び非公知性に基づいて判断する。この段階で、要件を満たしていない情報は、言うまでもなく営業秘密という法的制度の対象外である。
第二段階の審理では、第一段階をパスした事案を対象に、当該事案が法的保護に値するか否かを判断する。保護要件の有無すなわち法的保護の必要性の有無は、情報の保有者のためだけではなく、公益や取引の安全性とも深く関係があるので、当該情報に接した者の認識(主観的な要素)はもとより、保有者が実施している秘密管理のための施策の状況、企業規模、業種、情報の性質などの諸事情を総合的に考量して判断する必要がある。
すでに述べたように、上記のような手順で判断している案件も、少数であるが実在する。これが本来の在り方だと考える。
(知的財産法制研究所 招聘研究員 結城 哲彦)