ペンネームを使うことは、小説はもとより、美術でもその例は多く、写真家のマン・レイ(Man Ray)の本名はEmmanuel Radnitzkyであり、かのパウロ・ピカソ(Pablo Picasso)にしても、本名はPablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picassoと103のアルファベットから成る。
 ペンネームは一つとは限らない。弁護士ペリー・メイソン(Perry Mason)シリーズを書いた作者E.S. ガードナー(Erle Stanley Gardner)は、A.A.フェア(A.A.Fair)の名で私立探偵ドナルド・ラム(Donald Lamb)シリーズを手掛けていることはよく知られている。ハリー・ポッターシリーズのJ.K.ローリング(J.K.Rowling)は、ロバート・ガルブレイス(Robert Galbraith)名でThe Cuckoo’s Callingを書いているし、修道女フィデルマ(Sister Fidelma)シリーズの作者ピーター・トレメイン(Peter Tremayne)は、古代アイルランドの専門家であるピーター・ヴェレスフォード・エリスであり、さらにもうひとつペンネームを持っている。
 つまりは、ペンネームを使うことは、著作者人格権の氏名表示権として著作者に保証された権利であり、自分の作った作品を如何なる名称のもとに公表するかは作者が自由に決定してよい、はずである。

 そのような中、著作権法の存在にも関わらず、大きな波紋を呼んだ事案がある。それは、エディ・バラップ(Eddie Burrup)の作品である。バラップは、すでに80代半ばで、牧畜業を営み、刑務所に入る常習犯であり、地図を描く、西オーストラリアの広大な領域にアクセスする権利を持つ先住民の「高位の男」である 、と信じられていた。バラップの作品は、1996年にアボリジナル及びトレス諸島民芸術賞をも受賞している。
 しかし、エディ・バラップの正体は、先住民ではなく、男性でもなかった。白人の一家デュラック家の二人姉妹の妹のエリザベス・デュラック(Elizabeth Durack Clancy)であり、聖ミカエル・聖ジョージ勲位及び大英帝国勲位の持ち主だったのである。
 地理的な遠さに加え、ゴーストライターに作品を作らせたり、盗作したりすることをよく目にする日本から見れば、変名で作品を作ることのどこが悪いのかと受け取ったり、人によっては、これは面白い試みであると考えたりすることもあるかもしれない。しかし、この問題の背景には、オーストラリアにおける先住民と植民者との間の長く悲しい歴史が存在しているのである。
 オーストラリアにおける先住民のアート作品には、特別な意味合いが込められている。先住民はクランと半族といった二つの方法で分類されており、地域的なグループがクラン、自分と動物や植物等の世界との関わりが半族で表される。先住民は元来、祖先が歩んできた歴史や未来についての儀礼の一部として地面、岩、人の肌などにアート作品を描いてきた。そのアート作品の表現方法にはコンテクストがあり、自分が属さないクランの絵を、その管理者に許諾を取ることなしに描くことはない。
 デュラックは、1994年、エディ・バラップを生みだし、高い評価と数々の賞を受けた。1997年に自身の偽名であることを公表した。それを知ったシドニー現代美術館のアボリジナルアート専門学芸員は、「これまで、先住民を虐殺し奪い取ってきた他に、私たちから搾り取り得る最後のもの」を奪ったと述べた 。
 デュラック自身は、自分の幼少時代にそばにいた先住民を見て、彼らの表現を知ったものである。自分が使いたいと思う技法や表現に正直であり、エディとして描くことが、彼女にとっての表現だったのかもしれない。しかし、先住民側にとって、18世紀にヨーロッパ人がやってきてからの250年間、虐殺され同化を強いられ子供を奪われようやく自決を勝ち取った歴史の中で、自らの文化や儀礼を表すアートを、あたかも先住民であるかのような態度で(ただし、先住民の暮らしや苦労もせず)使うことに対し、大きな議論が巻き起こることは必然だったように思われる。すなわち、同じオーストラリアに住みながらも、先住民の慣習法と、非先住民の法が必ずしも一致していなかったからである。
 エディ・バラップ、AKA、エリザベス・デュラックは、アボリジナルの画家としての絵画を、非アボリジナルの著作権概念のもと制作した。そのような状況において、著作者人格権の氏名表示権を主張することは、なんら意味を持たないのは、このような法律が、アボリジナルの慣習法とは別の場所にあるからに他ならない。

*1  原文は、”…In his mid-80s, Burrup was a stockman, jailbird, cartographer and maban ‐a tribal honorific meaning “Man of High Degree” with tribal access rights to huge acres of Western Australian bush territory.”
“The scandalous outing of Eddie Burrup”, 2000年7月26日付け英国Independent誌記事より(2016.3.15アクセス)http://www.independent.co.uk/incoming/the-scandalous-outing-of-eddie-burrup-734163.html
*2 Ibid.

(知的財産法制研究所招聘研究員 小川 明子)