🔭コラム「トピックス―米国:営業秘密にかかる連邦民事保護法の成立と施行について(結城哲彦)」

はじめに日本では、ほとんど報道されていないが(日本経済新聞2016年12月5日朝刊5面に、短い紹介あり)、米国では、連邦レベルで、営業秘密にかかる民事保護法が2016年4月27日に成立し、5月11日から施行された(改正法案末尾)。従来、米国における営業秘密を保護する法は、刑事については連邦制定法である経済スパイ法(Economic Espionage Act of 1996)、民事については各州の州法(制定法及びコモン・ロー)であった。各州の制定法(State Trade Secrets Act.以下STSA)は、統一営業秘密法(Uniform Trade Secrets Act. モデル法。以下UTSA)に基づくものであるが、制定法に反しない限りコモン・ローも依然として有効とされており、また、各州のSTSAの内容は必ずしも一致しておらず、このため、州際通商にかかる営業秘密の紛争処理には、必ずしも十分ではなかったといわれている。また、ニューヨーク州とマサチューセッツ州の2州(影響力は極めて大きい)が、STSAを有せず、依然としてコモン・ローを法源としていることも、今回、連邦レベルにおける民事保護法が制定されるに至った背後にあったと思われる。以上のような状況のもとで、今般、連邦レベルにおける営業秘密にかかる民事保護法が誕生した。立法形式としては、従来(1996年)の経済スパイ法(連邦法典第18編90章1831条~1839条)を改正する方法が採られ、改正後の法律の略称も、“経済スパイ法”から“営業秘密保護法(Defend Trade Secrets Act. 以下DTSA)”に変更された(改正新法前文)。具体的には、経済スパイ罪に関連する規定(1831条)と営業秘密窃取罪に関する規定(1832条)の二本立ての構成をそのまま温存したうえで、違法行為の差止手続(1836条)を全面改正する形で営業秘密に関する民事的な保護に関する規定を新設している。 DTSAの概要今回の改正の中核部分の概要は、以下のとおりである。その一は、この法律と州法及び他の連邦法などとの関係の解釈に関する一般指針を総則的に明文で規定している点である(新1838条)。すなわち、この法律の目的は、既存の法にとって代わるものでも、また、これらを修正や廃止するものでもないので、そのように解釈(construe)してはらないと定めている。さらに、各論に相当する新1833条(b)(5)(正当な行為の例外規定)や新1836条(f)(違法行為の差止手続)にも、同趣旨の規定が新設され、この改正法との整合性を図るための修正が行われている。第二に、本法の営業秘密に関する規定の適用範囲は、州際通商及び国際通商に限定される(1832条(a))この点は、従来の刑事手続きの場合と同様である。したがって、州内限りの通商には適用されない。第三に、営業秘密に関する既存の定義を温存する一方(その内容は、UTSAの定義と実質的に同じである)、「不正利用(misappropriation)」や「不正(improper)」の定義が追加・新設されている(新1839条(5)(6)。なお、リバースエンジニアリングは「不正」に含まれないと明文で規定されている点は、従来の関連法には見られないので注目に値する(新1839条(6))。第四に、本改正法は、営業秘密に対する侵害で被害を受けた(又はそのおそれがある)企業(雇用主)の権利として、差止請求(新1836条(b)(3)(A))及び損害賠償(新1836条(3)(B)、2倍以内の懲罰賠償及び弁護士費用の賠償を含む。新1836条(C))を請求できる権利を追加・新設している。この規定の内容は、実質的にはUTSAと同じである。第五に、今回の改正で特に注目すべきものとして、特殊な事情(extraordinary circumstances: たとえば、差止対象財産の所在場所が特定できない、財産を隠匿されるおそれがあるなど、差止請求や損害賠償請求による救済ではカバーできない急迫した事情)がある場合、原告(申立人)が、一定の要件(新1836条(b)(2)(B)~(H))の下で、被告(被申立人)に対する事前通告などの手続きを経ることなく、営業秘密を含む資料その他の拡散を防止に必要な財産の差し押え(ex parte seizure or preliminary injunctive relief)を裁判所に申立てできる権利が新設・追加された(新1836条(b)(2)(A)(i))。事前告知を不要としている理由は、被申立人による対象財産の隠匿を防ぐためであり、今までのSTSAやコモン・ローにない制度である。第六に、内部通報の促進と通報者保護の一環として、企業(雇用主)に対する告知義務と通知義務を怠った場合の不利益(ペナルティ)について規定が新設された。すなわち、今回の改正で、企業(雇用主)は、雇用契約書等のなかで、法令違反調査・報告目的のために、従業員が弁護士や公務員等に対して営業秘密を開示しても免責される規定が法律上存在している旨を従業員に積極的に告知するよう義務づけられた(新1833条(b)(3)(A)(B))。また、この告知義務を怠った企業(雇用主)は、営業秘密の侵害に対する損害賠償請求において、侵害者(従業員)に対して、上述の2倍以内の懲罰賠償や弁護士費用の賠償を請求できないというペナルティが設けられた(新1833条(b)(3) (C))。これは、上述のように、企業(雇用主)の保護を強化するために、事前告知なしの財産の差し押えを認めたこととのバランスを図るためだと思われる。なお、この義務は、今後締結・更新される雇用契約について適用される(新1833条(b)(3)(D))ので、在米子会社等につては、実務対応が不可避的に必要となる。また、ここでいう従業員には、正規従業員のみならず、コンサルタントや契約従業員である個人も含まれる(新1833条(b)(4))。第七に、この改正新法は、裁判所が、被申立人(元従業員等)が競争相手に転職することを阻止(prevent)するための差止命令(injunctive order)を発すること、転職先で退職者が営業秘密を不可避的に開示するおそれがあるとの理由で、これを阻止するための差止命令(いわゆる「不可避的開示論」に基づく命令)を発すること、又は州法が転職や退職者の正当な職務遂行の制限を禁止している場合に、これに反した差止命令を発することを認めていない(新1836条(3)(A) (I)(II))。このように、いわゆる不可避的開示論が、新法において退けられている点にも留意する必要がある。このほか、民事手続に関するものとして、秘密保持命令の発動を請求する権利(1835条)、第一審の裁判管轄権(1836条(C))、3年の出訴期間(新1836条(d)。3年はUTSAと実質的に同じである)、国外における違法行為に対する域外適用(1837条)などが設けられている。

改正法に対する評価 これまでにも、訴額が75,000ドル以上で、かつ、原告と被告の州籍(ビジネスの主要地としている州)が異なる当事者間の民事訴訟については、連邦地方裁判所で裁判が認められてきた(米国裁判所法1332条)。しかし、この場合でも、準拠法はあくまでも州法(制定法又はコモン・ロー)であり、州際や国境を越えた営業秘密の侵害行為に対応する場合、いろいろな不都合に遭遇せざるを得なかった事情はそれなりに理解できる。したがって、今回の改正新法が、営業秘密の一層の保護に寄与する側面があることは疑いない。反面、検討又は留意すべき問題点がいくつか存在することも否定できない。たとえば、州内でのみ事業を行っている地場の企業にとっては、州法が営業秘密を保護する唯一の方法であることに変わりはないのに、提訴先裁判所の決定のために、分析や検討が必要になるかもしれない。その場合には弁護士費用等の追加コストが発生するという実際的な問題が生じる。また、従業員に対する免責条項の通知に際して、企業として準拠法をどのように決めるかという問題も注意深く検討する必要が生じる。さらに、より根本的には、たとえば州際通商に関する営業秘密に関する訴訟で、DTSAに基づいて勝訴した原告が、STSAや各州のコモン・ローに基づいた訴訟の被告として敗訴することも起こり得る。このように、二重構造による保護には、一方で利点もあるが、他方でいろいろ問題を内在しており、事態がかえって複雑になることも懸念される。しかし、このような連邦法と州法の棲み分けの問題がどのように扱われるかについては、今後の裁判例や実務慣行などの積み上げを待つほかなく、今後の推移を十分注視する必要がある。_                                 (招聘研究員   結城哲彦)

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