🔭いわゆる「翻訳権10年留保」と電子書籍(園部正人)

いわゆる「翻訳権10年留保」と電子書籍[1]

本年4月より、RCLIPのRC(リサーチコラボレータ)となりました、早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程2年の園部正人と申します。皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。

 さて、報道によりますと、元編集者、海外著作権エージェントの宮田昇氏が3月14日に90歳でお亡くなりになったとのことです[2]。残念ながら私は宮田氏に直接ご挨拶を申し上げる機会はなかったのですが、氏の著作から多くを学んだものとして、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
  宮田氏は、『翻訳権の戦後史』(みすず書房、1999)、『昭和の翻訳出版事件簿』(創元社、2017)といった著作のほか、『翻訳出版の実務(第4版)』(日本エディタースクール出版部、2008〔初版1976〕)という実務書を世に出してこられました。
  そこで今回は、宮田氏の主著『翻訳権の戦後史』を貫くテーマである「翻訳権10年留保」制度について、その現代的な問題を少し考えてみたいと思います。

1 翻訳権10年留保制度
  本コラムをご覧の皆様にはすでにご存じの方が多いであろうとは思いますが、この制度の概略を簡潔にご紹介しましょう。
  昭和45年末まで施行されていた旧著作権法7条は、原著作物が発行されてから10年以内に翻訳物が発行されなかった場合に、その言語との関係で翻訳権が消滅することを定めていました。現行著作権法にはこのような規定は置かれていませんが、現行法附則8条により現行法施行前に発行された著作物については引き続き旧法7条が適用されることになっていますので、現在でも、昭和45年12月31日までに原著作物が発行され、その後10年以内にわが国で翻訳版が発行されなかった著作物については、翻訳権は消滅しているということになります[3]
  この制度が歩んできた歴史と、これが果たしてきた役割については宮田氏の著作をお読みいただくとして、ここでは少し現代的な問題について考えてみたいと思います。

2 消滅する「翻訳権」の内容
  現行著作権法では、翻訳権は法27条に定められています。そして、法27条によって禁止される行為は「翻訳」行為だけであり、翻訳された著作物の利用を禁止するためには、法28条を介して働く法21条以下の規定に根拠が求められるということになります。対して旧法の翻訳権についての規定(1条2項)はこのような構造になっておらず、後に引用する加戸氏の見解のようにこの翻訳権自体に翻訳物の利用禁止権も含まれているものと理解することになろうと思います。
  ここで、翻訳権10年留保制度により消滅する権利が、「翻訳を禁止する権利」、つまり現行法27条の翻訳権だけであるとすると、せっかく自由に翻訳ができるようになったのに、その翻訳物を利用することはできない(翻訳物を出版することができない)ということになってしまいます。それではあまりにおかしいので、翻訳権10年留保制度によって翻訳権が消滅する際には、現行法28条を介して働く翻訳物利用禁止権も(少なくとも一定の範囲では)消滅するものと考えるほかありません。

3 ネット配信型電子書籍への適用?
  それではここで消滅する原著作者の権利はどのようなものなのでしょうか。例えば、現行法23条に規定された公衆送信権も消滅し、翻訳権が消滅した文献を翻訳して、電子書籍としてネット配信をすることができるのでしょうか。
  ここで宮田氏の著作である『翻訳出版の実務(第4版)』を紐解いてみますと、同書には以下のような記載が見られます(289~290頁)。
   「…紙媒体で翻訳出版が自由にできるからといって、必ずしも無許諾でホームページに翻訳して掲載したり、オンラインで翻訳の文字情報を送信したりすることには疑問がある。旧法第七条と付則(ママ)八条で認められた『翻訳権十年留保』は、翻訳物の録音、録画権あるいは無形利用権を含まないという立法者の解説もある。…」「また『翻訳権十年留保』は、『発行』つまり複製・頒布の態様内の著作物の利用を許していると見るべきだというのが有力な意見としてある。…」
  前者の「立法者の解説」とは、おそらく加戸守行氏の著書『著作権法逐条講義(六訂新版)』(著作権情報センター、2013)を指すものと思われるところ、たしかに同書881頁には以下のような記載があります。
    「旧法第7条にいう翻訳権は、ベルヌ条約上の翻訳権と同義語でありまして、新法第27条に規定する翻訳権と新法第28条に規定する翻訳物印刷権とを合わせた性格の権利でございます。同じく第28条に規定する翻訳物の録音・録画権あるいは翻訳物の無形利用権を含まないものであることにご注意ください。」
  また後者の「有力な意見」は、城戸芳彦先生の見解[4]を念頭に置いているのかもしれませんが、定かではありません。
  このような見解によると、翻訳権が消滅した作品であっても原著作物の権利者が有する公衆送信権は消滅しておらず、電子書籍としてネット配信をすることはできない、ということになりそうです。
  現に、前田哲男先生や村瀬拓男先生はこのような見解に立たれるようで[5]、村瀬先生の著書には以下のような記載があります。
    「この制度が条約上許容された時は、紙媒体出版しか存在していなかったのであり、当時想定されず存在しなかった公衆送信権まで消滅するという解釈は難しいのではないかと考えられる。」
  そうすると、翻訳権10年留保制度によって翻訳権が消滅した著作物であっても、電子書籍としてネット配信をすることはできないということになりそうです。

4 「未知の利用方法」の議論に基づく再検討
   しかし、旧法の構造としては「翻訳権」に翻訳物利用禁止権が含まれているわけですから、翻訳権が消滅するのであれば、そこに含まれる翻訳物利用禁止権は、有形利用であれ、無形利用であれ、いずれも消滅するというのが素直な解釈ではないでしょうか。
    また、確かに翻訳権が消滅するという制度ができた当時、ネット配信型電子書籍などまったく想定されていなかったに違いありません。とはいえ、そもそも想定されていなかった利用方法を禁止する権利が、一旦は翻訳権を消滅させた著作権者に当然に帰属するのか、という点はもう少し検討してみる余地があるのではないでしょうか。
  新しい利用方法、といいますと思い出すのが「未知の利用方法」という議論です。これは、著作権の譲渡契約やライセンス契約が締結された後、新たな支分権が創設され、または新たな利用方法が現われた場合に、これらが契約の内容に含まれるか否かという問題です。多くの裁判例がありますが、特に「一切の権利」を対象とする著作権譲渡契約の内容に、契約後に創設された公衆送信権が含まれるとした事例が注目されます[6]
  ここで、翻訳権が日本国内で消滅した場面を原著作者の側から見てみますと、①原著作物の発行→②日本における日本語版翻訳発行を10年間行わない→③「翻訳権」消滅→④公衆送信権創設→⑤電子書籍サービスの登場、という経過をたどっていることになります。ここで原著作者は(そのような認識があったかどうかはともかくとして)翻訳権を消滅させるという「選択」(②)をしたものと評価することができ、その際に消滅する翻訳物利用権の範囲に少なくとも条文上は制約がかかっていないのですから、この「選択」は「一切の翻訳物利用禁止権」を消滅させるものであったとして、上記裁判例と類似した状況にあるものと考えることはできないでしょうか。
   このように、翻訳権10年留保制度により翻訳権が消滅した作品を電子書籍としてネット配信することはできる、と考える余地はあるのではないでしょうか。

5 結び
  この問題は本来条約の解釈論を含む問題であり、まだまだ検討は不十分といわねばなりません。ただ、宮田氏の訃報に触れ、また本コラム執筆の機会を頂いたことで、あえて拙論をご紹介することとした次第であります。

  さて、本記事は平成最後の日である4月30日に公開される予定となっております。明日から始まる新しい時代が皆様にとって良い時代となりますこと、そして、新しい時代に知的財産法の研究がますます盛んになることを祈念いたしまして筆をおきたいと思います。

--------------------------------------------------------------------------------------
[1] 本コラムの内容は、2019年1月10日に早稲田大学大学院法学研究科で開講された「知的財産権法研究Ⅱ」の講義で報告した内容を元にしております。当日ご指導、ご意見を頂いた高林先生、受講生の皆様には御礼を申し上げます。
[2] https://www.nikkei.com/article/DGXMZO42872980V20C19A3CZ8000/
     (2019年4月23日最終閲覧)
[3] この制度は、ベルヌ条約パリ改正条約30条(2)(a)、同条約パリ改正規定第1条第3に条約上の根拠を持ちます。すなわち、わが国がベルヌ条約ベルリン改正条約批准時におこなった、翻訳権については同条約パリ改正規定第1条第3の規定に拠る旨の留保が、昭和55年末まで維持されたことによる制度です。[4] 城戸芳彦『著作権法と著作権条約』(全音楽譜出版社、1954)134頁。翻訳が許諾された場合には翻訳物の発行はできるが、興行はできない、という趣旨の記載があります。
[5] 前田哲男「講演録 著作権・著作隣接権の存続期間をめぐって」コピライト640号2頁(2014)、19頁、村瀬拓男『電子書籍・出版の契約実務と著作権(第2版)』(民事法研究会、2015)32頁
[6] 東京地判平成19年1月19日判時2003号111頁(The BOOM事件)、東京地判平成19年4月27日(平成18年(ワ)8752号)裁判所ウェブサイト(着メロ事件)。辻田芳幸「著作権契約の解釈」企業法研究24号35頁(2012)も参照。

---- <RC 園部正人>----  

 

Previous
Previous

🔭2025年万博は、大阪・関西で開催される「オリンピック」か?(足立 勝)

Next
Next

🔭パロディ作品への著作権法65条2項・3項の類推適用について(結城哲彦)