AI(人工知能)雑感(三村量一)

◆はじめに

 近時、知的財産分野はAI(人工知能)に関する論議の花盛りであり、細かい論点に至るまで極めて詳細な議論がされている。AIについては、私なりに多少考えるところはあるものの、論文を作成するほどの十分な知識もないので、この場をかりて日頃の雑感を書き記し、自己の備忘録としたい。

◆AIと知的財産

 AIをめぐっては、当面、著作権の分野において紛争が顕在化することが予想される。すなわち、AIに関しては著作権のほか特許権、意匠権等の創作系の知的財産権において共通の問題が存在するが、特許権、意匠権のように権利の成立に管轄官庁の審査及び登録を要する権利の場合は、まずは権利成立の可否についての管轄官庁の判断が行われ、当該判断をめぐっての争訟が先行することになるからである。これに対して、権利の成立に審査も登録も要しない著作権の場合は、AIに関連する紛争は直ちに法廷に持ち込まれることになる。

◆著作権に関する設例

 ここで、設例として、Xの著作に係るx絵画が公表作品として存在する状況下において、ウェブ上の情報の探索収集機能を有するAI機器(ないしはソフトウェア)を有するYが、Zの注文に応じて当該AI機器を用いてデジタル絵画であるy絵画を制作し、Zがこれを複数印刷して販売したという事例を想定する。紛争の端緒となるのは、Zが印刷して販売したy絵画について、これがx絵画と類似しているとXが認識し、Y及びZに対して複製権侵害(ないし翻案権侵害)及び譲渡権侵害を問責するという状況であろう。

◆著作権侵害の成否

 この場合において、y絵画がx絵画と類似し、x絵画の創作的特徴を有しており、類否判断において翻案物と評価される場合、Y及びZは、y絵画がAI機器により制作されたものであることを理由に著作権侵害の責任を免れることができるだろうか。実務感覚からすれば、Y及びZが責任を免れることはできないと考える。まずYであるが、仮にy絵画が専らAI機器の機能により制作され、Yの精神活動が関与していなかったとしても著作権侵害の責任を負うと考えられる。著作権侵害行為自体は、創作的行為である必要がなく、事実行為であっても足りるからである。この点は、機器を用いて機械的に書籍等をスキャンしたり、コピーする行為(いわゆる自炊行為)が複製権侵害を構成することに照らしても、肯定できるところである。また、Yは、AI機器が作品を制作するに際して参照した著作物を知る方法がなく、y絵画が何らかの著作物に基づいて制作されたのかも知らなかったと主張するかもしれないが(x絵画への依拠性の否定)、そのことを理由として著作権侵害を否定することもできないと考える。AI機器を用いた作品制作に際しての依拠性の問題については議論があるものの、上記設例においては、Yの用いたAI機器はウェブ上の情報を探索収集する機能を有しており、ウェブ上にアップされた著作物に基づいて作品を制作する可能性があり、現にy絵画はx絵画と類似しているのであるから、これらの事情に照らせばy絵画はx絵画に基づいて制作されたものと認定することが可能である。侵害者が依拠について認識していたことが必要かどうかという点については、侵害者が何らかの著作物に基づいて作品が制作されていることを知り得る立場にあれば足り、それが具体的にどの著作物であるかまで認識している必要はないと考える。そのことは、AIと無関係な事例においても同様である。例えば、主たる制作者A(師匠)が従たる制作者B(弟子)に作品制作の一部を任せていた場合において、AがBに対して既存の著作物を参考として制作を行うことを許容していたとすれば、Aは、Bが制作に際して依拠した具体的な著作物を知らないとしても、Bと共に著作権侵害の責任を負うというべきである。上記設例において、Yは、当該AI機器の性能を認識していたのであるから、著作権侵害の責任を免れることはできないと思われる。

 Zは、Yの制作に係るy絵画を複数印刷して販売したものであるが、Xの著作に係るx絵画の翻案物であるy絵画を複製して販売したのであるから、Yと同様に著作権侵害の責任を負うものと考えられる。Zの立場は、著作権侵害に係る小説を出版した出版社と共通するものであり、出版社が著作権侵害の責任を負うのと同様に考えるべきであろう。

◆AI制作の作品についての著作権成立の有無

 AIが制作に関与した作品について著作権が成立するかという点も、盛んに議論されている。AI機器を用いて作品を制作した場合でも、人がAIを補助手段として用いたにすぎないと認定される場合、すなわち作品の創作的部分がすべて人の精神活動の成果と評価される場合には、人が当該作品の著作者であり、当該作品の著作権は人に帰属する。もっとも、作品の創作的部分の全てがAIにより制作されたと認定される場合には、当該作品の著作権の帰属する主体は存在しない。その理由として、(ア)著作物というためには人の精神活動としての創作行為により生み出されることが必要であり、人の精神活動が全く関与していない場合には作品は著作物に該当しないという説明と、(イ)AIにより生み出された作品も著作物となり得るが、著作者として権利を原始取得する主体が存在しないため、著作権が成立しないという説明が、考えられる。私は、上記の2つの見解のうち、後者(前記(イ)説)を採りたい。悩ましいのは、AIが関与して制作された作品において、人の精神活動により産み出された部分(要素)よりも、AIにより産み出された部分の方が大きい場合である。この場合には、同人は、本来、当該作品について共同著作者として著作権の一部(共有持分)を取得するはずであるが、他の共同著作者であるAIが権利取得(権利帰属)の主体となり得ないため、同人が当該作品全体について唯一の著作権者となると考えられる。このように考えると、人が作品のうち極めて小さな部分についてのみ創作的関与をしている場合であっても、同人が作品全体についての唯一の権利者となることになる。しかし、これは人間が他の人間と共同で作品を制作した場合であっても、同様である。すなわち、ある共同著作者(甲)の創作的関与に係る部分が小さく、小さな割合の共有持分しか有しない場合であっても、他の共同著作者(乙)が持分を放棄した場合には、最初に挙げた共同著作者(甲)は作品全体についての唯一の権利者となる(民法255条)。これは共同著作物に係る2人の権利主体の片方が後発的に存在しなくなった状況であるが、上記のAI機器利用の場合は、原始的に同様の状況にある、すなわち共同著作物に係る権利主体の片方が当初から存在しない状況にあるという違いが存在するだけである(なお、職務著作(著作権法15条)に関しては、「法人等の職務に従事する者」は自然人に限るという説明の方が分かりやすく、この説明は前記(ア)説と親和的であるように思われる。)。

◆AIの制作した翻案物をめぐる権利関係

 それでは、頭書の設例において、y絵画をめぐる権利関係はどのように考えればよいだろうか。前述のようにy絵画は、AI機器を用いてx絵画を基に制作されたものである。ここで、y絵画における創作的部分のうちx絵画に新たに付加された部分(要素)が全てAI機器によって産み出され、Yによる関与が全くない場合を想定すると、y絵画について権利を有するのはXのみということになる。その場合、Xの有する権利はx絵画の著作権のみなのか、それともAI機器によって新たに付加された部分を含めたy絵画の全部の著作権なのかが問題となる。私見としては、前述のようにAI機器によって制作された作品であっても著作物に該当し、Xは、著作権法28条によりy絵画の全部について著作権を有することになると解する。原著作物の権利者の許諾なしに二次的著作物が制作された場合であっても、原著作物の権利者の権利は同条により二次的著作物の全部に及ぶものであり、この場合との均衡という観点からも、上記の設例においてXの権利はy絵画全部に及ぶと解するのが相当であろう(なお、著作権法28条について、原著作物に基づいて制作される二次的作品が著作物であることを要しないとする解釈を採ることも可能かもしれないが、私としては無理のある解釈と考える。)。

◆特許権、意匠権についての検討

 既に述べたように、AIに関しては、特許権、意匠権等の創作系の知的財産において共通の問題が存在するものであり、AI機器を用いて作出された技術やデザインについても同様の問題が存在する。

 特許発明についていえば、著作物の場合と同様に、AI機器のみを用いて作出された技術を実施する場合であっても、既存の特許発明の技術的範囲に属する場合には特許権侵害を構成するし、AI機器のみを用いて作出された技術は特許法上の発明に該当するが、権利が原始帰属する主体が存在しないことから、特許権が付与されることはないと解される。このように解する立場からは、AI機器のみにより作出された技術であっても、「発明」として新規性喪失、進歩性喪失の理由となる(特許法29条1項、2項)という説明が容易となる。もっとも、この点については、特許法29条の規定する新規性・進歩性の喪失事由たる「発明」は、そもそも人の精神的創作活動により作出されたことを要しないとする見解もあり得るところであり(例えば、物質特許に係る発明との関係では自然界に存在する物質(自然物)であっても新規性・進歩性の喪失事由となるし、機械等の構造の発明との関係では意匠公報の図であっても新規性・進歩性の喪失事由となる。)、このような見解の下においては、AI機器のみにより作出された技術であっても新規性・進歩性の喪失事由となることは当然のことであろう。

 AI機器と人の精神活動の双方が寄与して作出された技術について特許権が成立するかどうかは、まずは特許庁の判断によることになるが、私見としては、著作権について述べ得たところが同様に当てはまるものと考える。なお、特許法35条3項に規定する職務発明については、職務著作について述べたところと同様に考えることになろう。

 AI機器が関与して作出されたデザインと意匠権の関係についても、特許権について述べたところが同様に当てはまるものと考える。

◆おわりに

 本稿は、おりふし思いついたことを、不勉強なまま自己の備忘録として記したものであって、学術的な検討も不十分なものであり、今後の論文等において引用されるようなものでは到底ない。もっとも、既存の議論にとらわれず、勝手に考えた結果であるから、もしかすると読者の方々の新たな発想のヒントになるかもしれない。そうであるとすれば、望外の幸せである。

元知財高裁判事・弁護士 三村量一

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