🔭新型コロナウイルス禍の中で(富岡英次)
私は、早稲田大学院の法務研究科生とLLM受講者に対して、春学期は、高林龍先生、三村量一先生と特許紛争処理法を教えていますが、このところ、新型コロナウィルス感染拡大、緊急事態宣言発令などの影響を受けて、例年とは全く異なる新しい対応に追われています。
大学は、5月6日まで立入禁止、法務研究科の正式な授業開始日は5月11日(4月20日から5月9日までは補講も可)となっていますが、春学期は、当面の間は対面授業を行わず、リアルタイム配信・オンデマンド配信のいずれかの方法により、インターネットを利用した遠隔授業を行うこととなりました。特許に長期間関わってきたので、科学技術についてアレルギーはないはずですが、やはり、それなりの年齢になって、自分一人でやろうとすると、意外にうまくゆかず、困惑することが少なくありません。そもそも、「ネトウヨ」というのは、「ネットの周辺をウヨウヨしている輩のことを指すのか?」と尋ねて、呆れられたことのある私ですから、ご想像はつくかと思います。
また、このようなオンライン授業は、全員の顔を見渡しながら、その表情等によって説明の仕方を変えるという、ごく当たり前のことができません。
最近の、S N Sを頻繁に使用して密に連絡を取り合っている人々であれば、リアルタイムにオンラインで繋がっていることでかなり一体感を得られるのかも知れないし、また、今後、W E B会議システムが急速に改善され、私のような者でも、対面の授業と同じような感覚で講義することが可能となるのかも知れません。このような災禍を契機として、新たな技術や社会関係が発展するということもあるのでしょう。工業所有権法学会を含め、国内、国外の知財の様々な会議も、軒並み中止又は延期となっていますが、その一部は、このようなW E Bシステムを利用することもできるようになるかも知れません。
他方、参加者の共感という意味においては、ネットを利用したこのような方法は、実際の集団や対面での交流に、まだ、遠く及びません。ヨーロッパの自粛を強いられて各家庭に閉じこもっている人々が、S N S等により呼びかけあって、特定の時間に、一斉にバルコニー等に出て、同じ曲を同時に歌ったり、医療従事者への賛美の拍手をするなどし、瞬く間に各都市、各国に広まり、これを知った人々の心を温めたことも、記憶に新しいところです。
ここまでは、多少呑気なことを述べてきましたが、現実は、かなり過酷です。
つまり、各国の国境封鎖や、各都市のロックダウンは、感染の拡大に対しては有効に機能するように思われますが、他方、各国、地域の経済に重大な打撃を与え、雇用を奪い、人々の生活を不安定に、場合によっては、国内を荒廃させることは、誰の目にも明らかであり、すでに解雇、倒産など一部は確実に現実化しています。
また、一地域内で疫病が蔓延した場合に、その地域に閉じこもることが、さらに疫病の拡大に拍車をかけることもあるようです。話ははるか昔に飛びますが、古代ギリシャの都市国家(ポリス)アテナイは、ポリスの周囲に壁を巡らせて、中に住む市民を守っていました。アテナイは、ペロポネソス同盟の盟主でしたが、これに対抗するスパルタ及びその同盟国とペロポネソス戦争となり、傑出した指導者ペリクレスの指揮の下、地続きのスパルタ同盟国の攻撃からアテナイを守るため、壁の外側で生活していた者をポリス内に移し、強い海軍力に頼って海から物資を補給し、万全の構えをとっていました。ところが、そのアテナイを疫病が突然襲い、ポリス内で猖獗を極めました。壁の中では、埋葬もままならず、街に死体が溢れ、人口は半減し、ペリクレスも子供と共に疫病に感染して死にました。指導者を失ったアテナイは、その後混乱し、軍事的、政治的失敗を繰り返して、ついにはスパルタに無条件降伏し、衰えていった、と言います。ここでは、外敵を守るための城壁が、逆に自らの都市国家を荒廃、滅亡させた、とも言われています(橋場弦 東京大学公開講座第112回「防ぐ」 https://youtu.be/mjVIQIkYGE8)。
先日、テレビニュースで、熊本市が、外出自粛を呼びかけるポスターに「ステイホームも加藤清正ならこう言うでしょう。『籠城じゃ!』」と書いて配布していることを知りました。上記のアテナイを思い起こし、熊本市内で感染が拡がっていった場合にも、市は同じことをいうのだろうか、と疑問を感じました。まして、上記の橋場氏によれば、日本とヨーロッパでは、城壁によって守る対象が違う、ヨーロッパの都市は、ギリシャのポリス以来、街の周囲に城壁を築き、その住民を外敵から守ってきたが、日本の城壁は、領主とその家臣団のみが所在する城の周囲に築かれ、城外に住む民を守るようなものではなかった、というのですから、熊本市のポスターは、見当違いで滑稽です。
いずれにしても、都市の内部で、疫病が蔓延しているような場合には、ロックダウンは、その都市の住民にとっては、脱出することもかなわず、極めて高い感染の可能性と乏しい医療体制という環境に閉じ込められ、ただ罹患を待ち続けることを意味しかねません。横浜港に停泊していたクルーズ船ダイヤモンドプリンセス号内で検査も受けられない乗客の感情が思いやられます。
知的財産からだいぶ離れましたが、日本を含む知的財産の先進国でも、今後、現在のような状況が続き、上記の有識者が危惧するような深刻な経済不況が長引くことがあれば、政府、行政の知的財産制度への取組みは大幅に遅れ、企業の知的財産制度利用も遥かに減り、学会活動や大学における知財教育も一時的に弱体化していく可能性があります。現在でも知財案件の依頼がかなり減少しているはずの特許事務所、法律事務所等は、近い将来に経営維持がかなり困難となる場面も予測して対策を考えていかざるを得ない状況でしょう。
アメリカの国際政治学者イアン・ブレマーやフランスの経済学者・思想家のジャック・アタリらは、先日、ETV特集「緊急対談 パンデミックが変える世界〜海外の知性が語る展望〜」という番組の中で、今回の感染の拡大による各国の孤立化が、経済、とりわけ発展途上国の経済に対する深刻な影響が、人々の予測を超えて深刻なものとなることを、強く危惧していましたが(https://www.dailymotion.com/video/x7t9vvs)。現在のアメリカのように、先進国が援助の努力も放棄していく状況となれば、発展途上国としては、国民の生命を維持し、国家を存続させることに精一杯となり、折角、日本等の援助を受けて始めかけている知的財産制度の整備を継続することなど、到底不可能ということになるでしょう。これは、世界の知的財産制度の発展にかなりの歯止めをかけることになります。
知的財産制度の発展を願う私どもとしては、少しでもパンデミックが早期かつ被害少なく収束することを切望するとともに、収束までの間、いかなる状況下においても、国内外において制度を維持発展し続けられるように、地道な努力を継続していきたいと思います。
-------- 富岡英次 --------