法服あれこれ(髙部眞規子)
■ 2023年に早稲田大学客員教授に就任し、「特許紛争処理法」「不正競争防止法/商標法」「知的財産訴訟の実務」の授業を受け持っている。
「特許紛争処理法」の授業では、最後の2回の授業時間に模擬裁判を実施するというのがウリであり、受講者である法科大学院生や法学修士課程の大学院生は、原告代理人役・被告代理人役・裁判官役のいずれかとなって、模擬裁判を行う。8号館には、本物の法廷を模した「法廷教室」がある。日本の知財訴訟で特徴的な、「技術説明会」方式により、まず原告代理人がパワーポイントを使用するなどしてプレゼンテーションを行い、次に被告代理人がプレゼンテーションを行い、互いに質疑応答を行った後裁判所からの質問にも答えるといった進行で、その後の期日に裁判所が判決を言い渡すという形式のものである。
法廷教室には、法服も備え付けられている。先日行われた模擬裁判では、裁判官役の院生たちは、最初は遠慮したのか法服を着なかったが、せっかくだから着てみたらというと、皆が法服を着用して法壇に座り、秩序正しい模擬裁判が行われた。原告代理人役及び被告代理人役の院生たちからは、羨望の眼差しが向けられた。
■ 私は、1981年に裁判官に任官し、2021年に退官した。40年以上に及ぶ裁判官生活では、ほとんどの期間、裁判実務の第一線で仕事をしてきた。
その間、公開の法廷に出るときの仕事着は、法服。法服を着なかったのは、最高裁調査官室に勤務した時期と、福井地家裁所長時代及び高松高裁長官時代のみであるから、33年以上にわたって法服を着用していたことになる。
裁判官という職業は、通常の執務時間は、裁判官室で記録を読み、合議をして判決を起案しており、法廷に臨む時だけ公開の空間に姿を現す。その公開の法廷では法服の着用が義務付けられているのである。非公開の和解期日や弁論準備手続期日では、当事者等には顔を合わせるとしても、一般の傍聴人はおらず、法服を着用しない。
■ 法服といえば、黒色である。後述のように、諸外国でも黒色がほとんどのようである。「裁判で白黒つける」というが、白黒つける役目の裁判官は、黒い法服を纏う。黒色とされたのは、他の色に染まることはないという点で、公正さを象徴する色として最適だと考えられたためという。「これから何色にも染まります」という白無垢の花嫁衣装、純白のウェデイングドレスとは、ちょうど正反対である。
■ 昨年のNHKの朝ドラ「虎に翼」の主人公は、女性裁判官の草分けであった三淵嘉子さんがモデルであった。三淵さんは私が任官する前に既に退官されていたので直接の接点はないが、女性裁判官の集まりではよく三淵さんの話が出た。
ドラマでは、戦前の法服も再現された。戦前の法服は、明治23年に制定された裁判所構成法に定められている。同法114条1項に「判事検事及裁判所書記ハ公開シタル法廷ニ於テハ一定ノ制服ヲ著ス」、同条2項に「前項ノ開廷ニ於テ審問ニ参与スル弁護士モ亦一定ノ職服ヲ著スルコトヲ要ス」と規定され、公開の法廷において判事、検事及び裁判所書記は制服を、弁護士は職服を着用することが定められた。同年の勅令により判事、検事並びに裁判所書記が法廷で着用する制服及び執達吏の制服が制定され、明治26年の弁護士資格制度の施行に伴い司法省令により弁護士の職服も制定されたものという。
そのデザインは、古代美術や有職故実に精通し、服飾史に関しても造詣が深い国学者、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の黒川真頼教授が考案したものという。これらの法服は、ドラマで再現されたように、上衣と帽から成り、とても格好良く見えた。上衣は黒地の闕腋袍で、判事は、肩から胸部、後ろ襟にかけて深紫色の唐草模様と桐の刺繍が施され、検事は、襟と胸に深緋色の唐草模様と桐の刺繍が施され、弁護士は、白色の唐草模様の刺繍のみが施され、刺繍の色で官職が区別されていた。判事の深紫色は、僧侶の紫衣など高貴な者が身に着ける色であることから尊厳を、検事の深緋色は赤誠(偽りのない心)を、弁護士の白色は潔白を、表していたという。また、皇室の紋章とされる桐の個数で裁判所の等級を区別され、大審院判事が7個、控訴院が5個、地方裁判所と区裁判所が3個とされていた。なお、裁判所書記の刺繍は襟に深緑の唐草模様のみであった。また、帽は黒地雲紋で、古代の官僚が被っていた冠を想わせる形状であった。
当時の法服は、自弁だったとのことで、貧しい判事の妻が自ら仕立て、胸飾りを刺繍した、というような美談も残っている。ドラマで見た法服の刺繍はとても美しく素敵で、仕立てるまでに随分と手間がかかったことと思われる。
■ 現在の法服は、黒色という点は同じだが帽子はなく、刺繍も何も施されていない極めてシンプルなガウン状のものである。1949年に「裁判官の制服に関する規則」により、裁判官について「制服」(法服)が定められた。裁判官の法服着用を定める実質的な理由は、法廷では手続が非常に厳粛にかつ秩序正しく行われなければならないということから、「一方ではその公正さと人を裁く者の職責の厳しさをあらわすとともに、他方では法服を着用することにより裁判官みずからそのような立場にあることを自覚させるもの」と説明されている。なお、現在は戦前と異なり、裁判所ごとに法服が異なることはない。
法服については、例えば、昔法廷が寒くて法壇の下に練炭コンロを置いていたら裾が焼け焦げたといった話を先輩から聞いたことがあるし、法壇の傷に引っ掛けて擦り切れた袖の横から白いワイシャツが透けてみえたとか、夏季休廷中にクリーニングに出したら、店員が怪訝な顔をして商品名に何と書くのでしょうかと聞かれたなど、さまざまなエピソードがあり、枚挙にいとまがない。しかし、法服を着用すると、厳粛な気持ちになるのである。きっと、「特許紛争処理法」の授業で裁判官役になった大学院生も、厳粛な気持ちになったに違いない。
■ 私が任官した1981年には、女性裁判官は4名任官したが、その当時では多い方であり、全国でも女性は数十名しかいなかった。
それゆえか、法服は専ら男性用であった。そのSサイズを身につけても、身長160㎝の私にとってはまるで法服に着られているような状態であったし、もっとずっと小柄な女性裁判官も少なくなかった。また、法服は前ボタン留めで、合わせ目は和服と同様の右前合わせなので、女性用のものとは左右が逆であり、裁判長と右陪席が法服を着終わっても、私はまだボタンが留められず着用の途中だったりした。この法服の腰のあたりには、ズボンのポケットに直接手が入れられるようなスリットがあって、ハンカチを簡単に取り出すことができるようになっていた。といっても、女性の場合、当時はパンツスーツも流行っていなかったので、そのスリットは何の意味もない穴であった。また、男性は、法服の下にワイシャツとネクタイを着用して胸元が引き締まって見えるのに対し、女性が法服の下に胸が大きくあいたデザインの服を着たりすると、法服の下に何も着ていないのではないかなどと誤解されることすらあったようである。そこで、襟の付いたブラウスを着て胸元に大きめのネックレスをしたり、ボータイ付きのブラウスを着たり、スカーフを巻いたりするなどの工夫をしていた。
それから10年余経って女性裁判官が徐々に増え、1992年にはついに女性用法服が誕生した。左前となって着やすくなったし、サイズも女性が基準なので私もMサイズで足りるようになった。また、縦ポケットが付いて、ハンカチ等を入れることができるようにもなった。この時、法服とともに白いスカーフが支給された。このスカーフは、意外に長くてうまく結ぶのが難しく、せっかく女性用法服となって早くボタンが留められるようになっても、今度はスカーフを結ぶのに時間がかかるようになった。しかも、法服が破れたりして新たに支給された場合でスカーフは一度支給されただけで新たに支給されなかったので、30年も経つと、少しずつ黄ばんでしまった。私は蝶結びをしていたが、最近はスカーフをする女性裁判官が減ってきたようである。テレビ等で報道されることも多い最高裁判事は、それぞれこれを加工するなどしてとても素敵な結び方をされているのが印象的である。
■ 知的財産高等裁判所長時代には、最高裁や知財高裁、日本弁護士会等が主体となって、国際知財司法シンポジウムを開催した。日本の裁判所として、初めて海外の裁判官や弁護士を招いて国際シンポジウムを主催するという、大きな行事であった。知財に関連する国際シンポジウムは既に多く開催されているが、日本の裁判所が主催する国際知財司法シンポジウムの特徴は、共通の事例に基づいて、それぞれの国が模擬裁判を行うという点である。欧米諸国とアジア環太平洋の国の裁判官及び弁護士を毎年交互に招き、各国裁判官は、自国の法服を着て模擬裁判を行った。
イギリスの裁判官は、中世風の白いウィッグを着用すると聞いていたが、招聘した知的財産企業裁判所のRichard Hacon判事の法服は、黒色の法服に肩から袖口に薄紫色のバンド(帯)を垂らし、英国高等法院特許裁判所のJames Mellor 裁判官の法服は、黒地で首元に赤いタイが付けられていた。イギリスの弁護士は、法服と中世風のウィッグを身に付け、そのウィッグも、カールした長い髪のものやショートヘアのものがあった。ドイツの法服は裁判所によって異なるとも聞くが、招聘した連邦通常裁判所(日本の最高裁に当たる)のPeter Meier-Beck裁判長の法服は、黒地で前面に濃紺色のビロードの縁取りが付いており白い蝶ネクタイを着けておられ、弁護士も法服を着ていた。欧州統一特許裁判所控訴裁判所のKlaus Grabinski長官の法服は、黒地で前面にブルーのビロードの縁取りが付いていた。フランスはDenis Monégier du Sorbier弁護士が裁判官役を務めたが、黒い法服にアスコットタイ風のスカーフを身につけて模擬裁判を演じた。
アジアの裁判官も招聘したが、韓国特許法院のKyuhong LEE裁判長の法服も、黒地で前面にサテン風の縁取りが付けられていた。中国の最高人民法院知識産権法廷のLang Guimei裁判官の法服は、黒地で胸元に赤色の紋章及び襟と袖口に金色の模様が施され、前面に赤いタイを付けていた。インドのデリー高裁のPrathiba M.Singh裁判官は、サリーの上に黒い法服を羽織り、アスコットタイを着用。それぞれ素晴らしい法服姿であった。
各国に比べると、日本の現在の法服は極めてシンプルで、生地も今は化繊(ポリエステル)である(昔は羽二重シルクで某百貨店製のものだったし、沖縄では以前は麻製だったとのことである。)。また、日本では、戦後弁護士が法服を着用することもなくなった。
■ 私にとって、33年余り仕事着であった法服。裁判官室のメンバーが替わる度に撮影した法廷写真を見て、昔の担当事件や、あの厳粛な法廷でのやりとりを思い返すこの頃である。
髙部眞規子(元高松高等裁判所長官・早稲田大学客員教授・弁護士)