巨星墜つ(平山太郎)

 作曲家の小林亜星さんが5月30日にお亡くなりになりました。
 88歳で、死因は心不全だそうで、読売新聞6月14日付の記事によれば、「前日までは元気だったが、30日早朝に自宅で転んで」救急搬送されたということのようです。
 ご存じの通り、誰もが知ってる曲を何曲も作曲され、訃報を伝えるニュース番組では、該当インタビューでどの曲を知っているかアンケートをとっているものもありました。それほど難しい旋律でもなければ音域も広くなく、それでいて耳に残る曲を創作するのが天才的と評されていましたが、出世作のレナウンのCM『ワンサカ娘』、「この木なんの木」のフレーズでお馴染の『日立の樹』、明治チェルシーの『チェルシーの唄』など、実際にぱっと思いつくものにはCMソングが多いです。他にもCMのジングルだと「あなたとコンビにファミリーマート」、アニメソングだと「ガッチャマン」、楽曲では1976年のレコード大賞を獲った都はるみの「北の宿から」、最近でも子供向けの童謡「あわてんぼうのサンタクロース」などがよく知られています。
 
 そして、知財の世界では何と言っても、「どこまでも行こう」でしょう。同じく作曲家の服部克久さんが作曲した「記念樹」を盗作であるとして訴えた「記念樹事件」は、音楽に関する編曲(翻案)の範囲について、大きな議論を呼ぶこととなりました。
 第一審の東京地裁判決(2000年2月18日)では、一部に相当程度類似するフレーズが存在すると認めたものの、全体としては同一性があるとは認められないとして複製権の侵害を認めませんでしたが、複製権から編曲権に切り替えた控訴審の東京高裁判決(2002年9月6日)では、編曲権の侵害を認めたのです。その理由は、「メロディーのはじめと終わりの何音かが同じ」であって、「メロディーの音の約72パーセントが同じ高さの音」であることが「表現上の本質的な特徴」の同一性を有すると認め、これが偶然の一致によって生じたものと考えることはできないとしたものです。その後、最高裁は上告不受理とする決定(2003年3月11日)をして、高裁判決が確定しました。
 「どこまでも行こう」は、1966年のブリジストンのCMソングとして発表され有名となり、その後、音楽の教科書に掲載され唱歌として歌われるようになり、CM時代はまだ生まれていなかった私もそれで知るようになりました。長期間、膨大な回数が茶の間に流れた大ヒット曲であることが、偶然知らずに似たことはあり得ないとした裁判での主張の根拠ともなっていました。
 判例の詳細や是非については、各評釈に委ねるとして、音楽の著作物について侵害の可否を議論できる素材を提供してくれたことには感謝をしたいと思います。言語や美術の著作物については書籍にも掲載し易いので実際のものを見て判断できますが、音楽は載せられないので是非聞き比べて考えてほしいと思います。
 
 さて、敗訴してしまった服部克之さんですが、小林亜星さんより1年ばかり前の昨年6月11日に83歳で亡くなっていました(死因は腎不全)。こちらは言わずと知れた音楽一家で、テレビ番組のテーマ曲や映画音楽、CMソングなどが有名です。TBSの音楽番組「ザ・ベストテン」のテーマ曲や「新世界紀行」のテーマ曲「自由の大地」などが有名です。私個人としては、フジテレビの「カノッサの屈辱」のテーマ曲が大好きでした。
 「どこまでも行こう」の盗作だとして訴えられた「記念樹」はフジテレビのバラエティ番組「あっぱれさんま大先生」のエンディング・テーマで、卒業ソングとしても定着しかかっているところでした。
 
 1年という短期間で、事件の原告と被告でもある作曲家が両者とも亡くなっていますが、そういえば、作曲家と言えば筒美京平さんも最近亡くなってたなと思い、改めて作曲家の訃報を調べてみると、結構いらっしゃって驚きました。
 筒美さんが亡くなったのは、服部さんの約4カ月後の10月7日(80歳、死因は誤嚥性肺炎)です。代表曲は「ブルー・ライト・ヨコハマ」「木綿のハンカチーフ」「仮面舞踏会」などキリがありません。さらにその2カ月後の12月20日には、「喝采」や「北酒場」などの中村泰士さんが肝臓がんで81歳でお亡くなりになっています(しかも、「北酒場」の作詞を担当された作詞家なかにし礼さんはその3日後の23日に心筋梗塞で82歳で亡くなっています)。
 明けて今年の2月16日には、クラシックの音楽一家で、今の大河ドラマの主人公渋沢栄一を曾祖父に持つ尾高惇忠さんが大腸がんで76歳で、4月24日には、ドラえもんやタイガーマスクの主題歌を作曲された菊池俊輔さんが、誤嚥性肺炎で89歳で亡くなっていました。
 他にも小林さんに関連するところでは、「この木なんの木」の作詞をされていた伊藤アキラさんが、5月15日に急性腎不全で80歳で亡くなられており、この訃報記事には、小林亜星さんもコメントを寄せられていました(読売新聞5月22日付「伊藤アキラさん死去、小林亜星さん『彼の歌詞にはスムーズにメロディーをつけられた』」)。
 
 死因を見るとコロナもあまり関係なさそうで、短期間でこれだけ同一分野の大家が連続して亡くなられるのはかなり珍しい気もします。年齢も考慮すれば偶然に過ぎないとは思いますが、コロナ禍によって音楽活動がままならない現状を残念に感じられていたことは間違いないでしょう。
 亡くなられたみなさんのご冥福と、コロナ禍を乗り越えて、音楽活動が1日も早く正常に戻ることを願っております。
 
 なお、最後に蛇足を1つ。
 小林亜星さんの出世作「ワンサカ娘」をCM起用したレナウンは、2020年5月15日に民事再生法申請を申立て(負債総額は138億円)、2021年3月19日に清算手続が終了しました。こちらは、新型コロナウィルス感染拡大の影響により、1902年の創業以来約120年の歴史に幕を閉じることになりました。

〈平山太郎(RC)〉

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