視聴覚的実演に関する北京条約について(蔡 万里)

 昨年、勤務先の豊橋技科大から7か月間の在外研究のチャンスをもらったが、突然のコロナ禍に見舞われて延期を余儀なくされた。今年になって、未だコロナ収束の見込みが立たない状況でもあるが、9月1日から北京にある母校の清華大学法学研究科へ行くことにした。北京を離れ日本へ来てから11年を経ったが、再び北京を訪れることを楽しみしている。このようなタイミングで、昨年4月28日に発効された視聴覚的実演に関する北京条約(以下、「北京条約」をいう。)について話したい。

 北京条約は、俳優や舞踊家といった視聴覚的な実演家に著作隣接権を設定し、その保護を図ろうとして、2012年6月に北京で開かれたWIPO(世界知的所有権機関)加盟国間の外交会議において採択されたものである。同条約は、30か国が批准書又は加入書をWIPO事務局長に寄託した後3か月で発効することとしており、30か国目となるインドネシアが2020年1月28日に批准したことから、同年4月28日に発効することになった。2021年8月の現時点では、すでに43か国が同条約に加盟した[1]

 実演家の権利の保護に関する国際的枠組みとしては、1961年にローマにおいて署名された実演家・レコード製作者及び放送機関の保護に関する国際条約(略称「ローマ条約」)、1994年に締結された知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(略称「TRIPS協定」)、1996年にジュネーブにおいて署名された実演及びレコードに関する世界知的所有権機関条約(略称「WPPT」)等がある。これらの国際条約は実演家の人格権及び経済的権利(著作隣接権)について保護を与えたものの、固定された実演を「録音物」(=音楽実演)と「録画物」(=視聴覚的実演)に分けて異なる対応を行なっており、生の実演及び音楽CDに収録された音楽実演への保護に重点を置きながら、録画された視聴覚的実演に対しては十分な保護を与えていなかった。

 1961年のローマ条約は、はじめての実演家の権利を保護する国際条約として、放送権、公衆への伝達権等の幅広い権利(同条約7条)を認めたが、「この条約のいかなる規定にもかかわらず、実演家がその実演を影像の固定物又は影像及び音の固定物に収録することを承諾したときは、その時以後第7条の規定は適用しない。」(同条約19条)と規定していることから、音楽実演を録音物のみに固定していても、上記権利の行使を妨げないが、視聴覚的実演をいったん録画物に固定する場合、視聴覚的な実演家は上記権利を享有することができなくなる。

 ローマ条約の締結当時、録画機能を有する設備がまだ普及しておらず、視聴覚的実演を録画するのは主に映画制作会社であった。そこで、録画物に係る視聴覚的な実演家の権利を制限しなければ、視聴覚的な実演家の承諾を受けて制作した録画物であっても、それを自由に伝達や放送等に使用することができないため、映画制作会社の利益ないし映画産業の発展に不利になる[2]。そこで、映画会社と実演家間の利益のバランスを取るために、ローマ条約は視聴覚的実演に対して同条約19条の規定通りの権利制限を設けたわけである。しかし、録画設備の普及と共に、視聴覚的実演の収録は、プロの映画制作会社のみならず、日常生活において個人でも簡単にすることのできるものとなりつつあり、インターネットを通じて視聴覚的実演の利用もますます増加する傾向にある。一方、数多くの俳優等の実演家は未だ十分な報酬を受けたとは言えず、ギリギリ生活を維持できる程度の収入しか得られない者も少なくないと言われている。この意味では、視聴覚的な実演家の権利を制限するローマ条約上の国際的なルールは必ずしも妥当とは言えなくなる。その後、TRIPS協定及びWPPTでは、主に音楽CDに固定された音楽実演の保護が図られおり、視聴覚的実演における実演家の権利は保護の対象に含まれていなかった。また、2000年12月には、WIPOにおいて視聴覚的実演の保護に関する外交会議がジュネーブで開催されたが、実演家の権利行使に関する条項をめぐり映画産業界の強い意向をバックにした米国の反対により、合意に達しなかった。このような背景から、2011年10月に、今まで国際的に十分な保護が図られてこなかった視聴覚的な実演家の権利保護を議題とする外交会議を開催することが、WIPO一般総会において決定され、2012年6月に北京で行われた最終的な交渉の結果、加盟国間で合意に達し、北京条約として採択され、2020年4月に発効することに至った[3]

 北京条約の発効について、世界的に知られているスペインの俳優のハビエル・バルデム(Javier Bardem)さんは、次のようなコメントをした[4]

「The Beijing Treaty is the most important thing that has happened to actors, since the invention of cinema. Technological developments, and their impact on production and online distribution models are useless, if we actors cannot participate fairly in the use of our audiovisual work. The Beijing Treaty secures a minimum and global standard of protection for actors’ rights. It puts an end to a historic injustice which has prevented actors from receiving the basic rights long enjoyed by musicians and other creators. The implementation of this Treaty will help actors to have more dignified lives particularly the vast majority who, sadly cannot make a living from their work. The worldwide boom in digital audiovisual production and distribution has not yet had a positive impact on the economic situation of actors…」。

 北京条約の具体的内容について、日本外務省のウェブサイト[5]にて確認できるが、主たる内容は以下の通りである。

  • 内国民待遇(4条)
  • 実演家人格権(氏名表示権・同一性保持権)(5条)
  • 実演家の財産的権利
    • 生実演を固定する権利及び放送・公衆への伝達権(6条)
    • 複製権(7条)
    • 譲渡権(8条)
    • 商業的貸与権(9条)
    • 利用可能化権(10条)
    • 固定された実演の放送・公衆への伝達権(許諾権or報酬請求権or留保)(11条) 
  • 権利の移転、制限及び保護期間(12条、13条、14条)
  • 技術的保護手段及び権利管理情報に関する法的保護(15条、16条)

 日本は2014年6月に北京条約に加盟したため、同年通常国会において、著作権法の改正が行われ、著作権法による保護を受ける実演に、北京条約の締約国の国民又は当該締約国に常居所を有する者である実演家に係る実演を加えたこととされた(著作権法7条8号)。ただし、同条約で保護を求められている内容については、日本著作権法上すでに保護するための規定が設けられているので、実演家の権利の内容については、法改正によって特段変更されていない。

 中国著作権法の対応につて、中国著作権法は視聴覚的な実演家の商業的貸与権について規定していなかったが、2020年11月に行われた著作権法改正において、北京条約第9条に規定する同権利が追加された(2021年6月1日施行)。なお、中国が2014年に北京条約に加盟する際、固定された視聴覚的実演の放送及び公衆への伝達権又は報酬請求権(北京条約11条)について留保声明を宣言したことから、今回の法改正は、それらの権利に触れていなかった。

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[1] WIPO>Copyright and Related Rights>Beijing Treaty  https://www.wipo.int/treaties/en/notifications/beijing/treaty_beijing_43.html(2021年7月25日最終閲覧)。

[2] 梁朝玉「視聴覚実演に関する北京条約への解読」中華全国律師協会ウェブサイト 2020年4月。

[3] 文化庁月報(N.531号)「視聴覚的実演に関する北京条約の採択について」2012年12月参照。

[4] WIPO>Copyright and Related Rights>Beijing Treaty 

https://www.wipo.int/beijing_treaty/en/(2021年7月25日最終閲覧)。

[5] 外務省>条約>第186回国会提出条約https://www.mofa.go.jp/mofaj/ila/trt/page22_000989.html

 〈蔡 万里(RC)〉


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